悪心が泣き寝入りの原因 言の創世力 学校は悪魔崇拝 多数派の妄言 社会貢献は地獄行き
1、泣き寝入り
昨日の10の追加。
非信者と挨拶しない 信者の体が教会 謝罪 犯罪芸人 非信者と豚に真珠を与えてはならない |まいやす (note.com)
泣き寝入りする方も加害者になる危険性もある。
相手を増長させて、傲慢にして、傲慢は神が嫌う性格だから、相手は地獄へ落ちる。
まあ、相手が「自分自身の言動が地獄へ落ちる言動かどうか」を聞かないのが悪いけど。
相手が地獄に落ちるような増長をするように、泣き寝入りをして仕向けるのだから、泣き寝入りする方が加害者の癖に被害者面している事になる。
相手が悪いと言う前に、自分の言動や性根が悪いのではないかと考える癖をつける必要がある。
自分の言動が相手を地獄へ落としているのではないかと、考えれば、相手を傲慢にさせてはいけないと気付いて、徹底的に咎める方へ行くから、泣き寝入りするなんて行動にはならない。
朝から晩まで毎日、神の教えを相手に説教する選択をするから、泣き寝入りなんかしない。
相手に「そんな考え方では地獄へ落ちる」と警告するから、泣き寝入りしない。
神の教えを信じないから、泣き寝入りをするなんて選択をしてしまう。
神の教えを説教すれば、相手は改心して自己中をやめるから、こちらは泣き寝入りをしなくて良くなる。
相手が改心しないなら、嫌がって逃げるから、泣き寝入りいしなくて済む。
神の教えを信じたら、サタンは嫌がって逃げる。
神の教えを説教するのは、神が叱咤するのと同じだから、悪人は散る。
神のとどろく御声に驚いて逃げる。
自己中な人間と同じ価値観だと、自己中が近づいてくる。
自分は被害者だから何をやっても赦されると思っている自己中だから、タイプは違うけど似たような自己中が近づいてくる。
泣き寝入りして相手を傲慢にさせて、相手を地獄へ落とす。
まず、自分の悪心から意識した方がいい。
この世の命令系統は、神➝人間➝サタン➝闇の勢力➝表の権力者(操り人形の順番になっている。
神は間違えないから、エヴァが分別の実を食べてから罪が発生した。
人間の悪心をサタンが読んで、手下の闇の勢力に命令して、操り人形が実行する。
何か問題が起きると、たいていの場合は自分の悪心が原因だ。
俺の毒親も、俺を地獄へ道連れにしようと洗脳していたのに、謝罪すらしに来ない。
せっかく聖書の教えに基づいて悪行を糾弾して、反省をうながしてあげたのに、サタンに洗脳されているから逃げて行った。
俺も自分が泣き寝入りで地獄へ親を道連れにしようとしたのが悪いと思ったから、キチンと神の教えに基づいて糾弾した。
毒親は、自分自身が犯した罪すら反省しないから、生まれ付きの「神に対する罪」を絶対に反省しない。
神を信じれば、神の加護が得られて、自己中な人間を排除してくれる。
泣き寝入りで悪人を増長させるのも悪行になるから、地獄へ落ちる。
率直に戒めなさいと聖書に書いてあるから、率直に戒めないと悪行になる。
裁判所に対して、悪人に復讐するのが目的ではなく、金目当てでもなく、売名でもなく、悪人を更生させるのが目的だと言えば、裁判所も直ぐに悪人を懲罰してくれる。
ここで追加は終了。
2、言葉による創世
言葉が世界を創るから、神の言葉が世界を創る。
「言われた」とあるから、言葉に世を創る力がある。
この続きのあらゆるモノも「神は言われた」から、そのようになった。
聖書のあらゆる箇所で「神は言われた」から、世界は創られた。
もしかしたら、天国は、神が創世記の段階で「未来の信者たちの心を読んで」創っているのかもしれない。
エズラ書の来世は義人たちのモノなのも、義人たちが来世を共有するのが判ったから、最初から神がそのように創ったのかもしれない。
3、無気力の原因
昔は、人々の方が、救いを求めて色んな指導者に自分から声をかけて教えてもらっていた。
今の人たちが自分から救いを探さないのは、多分、テレビや学校教育とかが原因だろう。
アレコレとモノを言うのがテレビだから、それで満足してしまって、真実を探さなくなってしまった。
人間は、一日で頭に入力できる数が決まっているのだろう。
サタン側が人々を地獄へ道連れにするために、人々が真実を探さないように情報の洪水で溺れさせる。
テレビからネットへ誘導されると、テレビの時と同じ悪癖で聞きたい情報だけ探すようになる。
ネットもアプリとかで見せたいものを見せるから、真の救いを探せなくなっている。
学校教育が無気力の原因なのは、情報の洪水で教えすぎるからだ。
最近は、欧米で考える教育が流行っているけど、こっちの方法も100%インチキ。
サタン側が用意した悪魔崇拝の知識の範囲内で考えても、自由にモノを考えている事にならない。
欧米の偽装キリスト教団やサタンの手先が結託しているから、その範囲内でどれだけ考えても真実を見つけられず、必ずおかしな方向へ行く。
自然との触れ合いを禁止にして、人工物や人工栽培した植物だけを見せて、神に気付かないように洗脳する。
学校が悪魔崇拝である。
悪魔崇拝が蔓延する中で、神を探すのが試練である。
あなたが学校へ通う様になったのは、同じように学校へ通った人を説得できるようになるためだ。
同じ経験をする事で、説得できるようになる。
同じ経験をしていないと、説得できない。
同じ経験をしていない人間の言う事を信じる人は少ない。
学校が悪魔崇拝なのは、「先生」と呼ばせているからだ。
この世はフラットアースなのに球体地球を洗脳している。
ウィルスが存在しないのに、ウィルスが存在すると洗脳する。
世界の仕組みを教えない。
サタン側の存在を教えないで、民主制度が存在すると嘘を洗脳している。
先生は、神であるイエス・キリスト以外には一人も居ない。
神以外を先生と呼ばせるのは、悪魔崇拝である。
4、取り返しができない選択
ブタの臓器移植もそうだけど、妙な液体の薬害だって、体内で毒素を大量生産して対処するなんて、正気の沙汰とは思えない。
しかも解毒できない。毒素の生産の停止もできない。
なんで、こんなものを接種しようと思ったのだろうか。
ブタの臓器移植も、体内に移植してしまったら、二度と元に戻せないけど、本気で移植しようと思うのか。
人間同士の臓器移植も記憶が引き継がれるから、元に戻せないけど、判っていて移植しているのだろうか。
輸血も実際のところ危険かもしれない。
聖書には、血を食べてはならないとあるけど、輸血するのは善いか悪いか判らない。
血の経口摂取はダメだけど、血管摂取はダメか判らない。
取り除けない有害物質を体内に入れようと思っている時点で、思考回路が異常になっている事実を自覚した方がいい。
取り返しがつかない事をホイホイ軽々しく行う時点で異常である。
この異常な思考回路を直さないと、別の取り除けない有害物質を体内に入れて、病気になったり死んだりする。
添加物などを「気にしていたら食べるモノがなくなる」とか、ふざけた怠けをしているから、思考停止で今回の注射をホイホイと打ってしまったのだろう。
考える努力をしないから無駄死にする。
考える能力を持てとは言っていない。
考える努力をしろと言っている。
思考力なんて人によって違うから、思考力や才能で生きるか死ぬか決まるような選別はされない。
能力に関係なく、神を信じて信者に成るのは誰でもできる。
サタン側は、神の信者を殺すと、最後の裁きが前倒しになって地獄へ落ちて魂が消滅するから、神の信者を殺さない虐殺方法を選ぶ。
こういう思考停止の奴らは「宗教は思考停止」とか言って侮辱する癖に、思考停止で妙な液体の薬害を接種するから、いったい何がしたいのか。
思考停止がダメとか言っておきながら、思考停止で接種する。
思考停止が何なのか判らないまま、思考停止を言っているのではないか。
自分が何をやっているのか知らないのではないか。
フグ毒を注射するぐらい頭のおかしい事をやっているのが、思考停止で妙な液体を接種する人間である。
5、多数派は妄言
多数派の言う事は全て妄言である。
日本だと、天の主の信者が少ないから、俺は聖書を読みだした。
世界では、キリスト教徒が多数派と思っていたから、ワザワザ聖書を読む気にならなかった。
聖書を読むきっかけになったのは、匿名掲示板で聖書箇所や聖書解釈が書かれているのを何十回か見たからだ。
俺は多数派の妄言を聞かないようにしているから、偽装キリスト教団のカトリックなどをキリスト教だと思っていたから、全く聞かなかった。
カトリック・プロテスタント・正教などは、偽装キリスト教団だと判って、本当の神の信者は300000人に1人ぐらいだと気付いたから、聖書を信じる事にした。
6、同類に扱う
犯罪芸人は、一派の芸人も犯罪をしていたら、犯罪集団だと認識されて、やっぱり犯罪していると判断される。
自分の仲間の犯罪を咎めないと、自分も犯罪をしていると見なされる。
犯罪者を仲間に加えない。
仲間が犯罪をしたら懲罰する、追放する。
これが普通にやるべき処世術である。
犯罪者を追放しないのは、仲間の犯罪に気付かない節穴か、犯罪だと判らない知能か、犯罪を容認している性悪と見なされるから、世間は犯罪集団を丸ごと懲罰した方がいいと判断する。
犯罪者を懲罰しない人間は、犯罪者と同類と見なされる。
まあ、だからといって、犯罪者を叩いたところで自分の罪が赦されるわけではない。
自分の罪が赦されるには、被害者に謝罪して、損害賠償して、二度と犯罪をしない生き方をする必要がある。
他人の犯罪は叩いておきながら、自分や仲間の犯罪はダンマリなのは依怙贔屓で平等ではない。
神は悪人でも善人にも雨の恵みをもたらすから平等である。
率直に戒めろと言っている。
7、貢献の優先順位
非信者に貢献してはいけない。
非信者を助けてはいけない。
挨拶してはいけないのだから。
サタン社会に貢献してはいけない。
聖書では、貧乏人と未亡人と孤児は助けろと書いてあるから、貧乏人と未亡人と孤児が十分に助かった後で、他の人間を助けるのは善いかもしれない。
「他人や社会に貢献していないと死んでいるも同然」なんて妄言を吐く悪魔崇拝者が存在するから、気を付けないといけない。
一見すると正論のように見えて、実際は地獄へ道連れにしている。
人助けにも優先順位がある。
貧乏人・未亡人・孤児を見殺しにして、他の人間を助けると、何の手柄にもならないどころか、有用な金をドブに捨てたと判断される。
もしくは、有害な行為と見なされる危険性もあるかもしれない。
初代教会でも共有した財産を必要なところから順番に使っていた。
聖書における必要な人助けとは、貧乏人と未亡人と孤児を助ける事である。
多分、人助けにも優先順位が存在する事を知らないのだろう。
何でもそうだけど、まずは優先順位を知る必要がある。
その時の雰囲気で助ける相手を決めるのは危険である。
世の中の99%は悪魔崇拝だから、気を付ける必要がある。
8、移住
海外移住できる余裕がある時点で幸せだと思うけど、その事実には気づいていないのだろうか。
そんな余裕があるなら、どの国へ移住しても幸せに成れそうな気がする。