陰謀論は好きでも陰謀論者は嫌い 日本人は偽メシア偽神 パウロは市民義務違反
1、好き嫌い
俺は、陰謀論は好きだけど、陰謀論者は嫌い。
一般人は、陰謀論が嫌いなのか、陰謀論者が嫌いなのか区別できない。
偏見を持っている一般人は、物事を区別できなくなる。
物事を区別するには、偏見を持たず、公正に判断する必要がある。
そして、公正な人間とは、天の主の信者だけである。
その人間が嫌いなだけなのに、その人間の趣味が嫌いだと錯覚する。
人間を嫌ってはいけない洗脳を受けているから、人間を嫌うのではなく、その人間の趣味を嫌うようになる。
陰謀論が嫌いで、陰謀論者が嫌いではないなら、なぜ自分が陰謀論が嫌いなのか説明する責任がある。
陰謀論者が嫌いで、陰謀論が嫌いではないなら、なぜ自分が陰謀論者が嫌いなのか説明する責任がある。
陰謀論と陰謀論者の両方が嫌いなら、両方が嫌いな理由を区別しながら説明する必要がある。
スポーツが嫌いで、スポーツ選手が嫌いではないなら、なぜ自分がスポーツ嫌いなのか説明責任がある。
スポーツ選手が嫌いで、スポーツが嫌いでないなら、なぜ自分がスポーツ選手が嫌いなのか説明責任がある。
スポーツとスポーツ選手の両方が嫌いなら、両方が嫌いな理由を区別しながら説明する必要がある。
俺は、陰謀論なら面白いから好きだけど、数千数万の陰謀の一つ二つを暴いただけでいい気になる陰謀論者が嫌いである。
陰謀論者は、普通の人たちよりも性格が悪い人間が多い。
陰謀論に取り組んでいるからといって、清廉潔白なわけでもない。
陰謀論者は、基本的に他人を攻撃したい奴しか居ないから、性格が悪い。
陰謀論者は、恨みで悪人を攻撃するのではなくて、他人を攻撃したいけど他人を攻撃すると逮捕されるから、正義に擬態して悪人を攻撃している。
正義の怒りで悪人を攻撃しているのではなくて、他人を攻撃する快楽が大好きだから、正義の怒りに擬態して悪人を攻撃する。
他人を攻撃したいから、陰謀論を悪用しているだけだ。
他人を攻撃したいから、正義を悪用している。
天の主の信者なら、聖書で「敵を愛しなさい」と言っているから、個人的な敵だろうと、嫌いな奴だろうと、悪人だろうと、天国へ入れるように神の教えを諭す。
敵を愛するとは、一緒に天国へ入れるように、地獄へ落ちるような生き方を止めるように警告して、天国へ入れる生き方である神の掟を守る人生を説明する。
陰謀論者は嫌いだけど、個人的に嫌いでも、天国へ入れる方法は教える。
正義は神だけにあるから、人間の勝手な正義をすると地獄へ落ちるから止めろと忠告する。正義がしたいなら、神に立ち帰れば天国へ入れる。
俺が陰謀論者を嫌いなのは、数千数万の陰謀があるのに、一つ二つを暴いただけで偉そうになるからだ。
ほとんどの人は、真実を一つも知らないため、一つ二つの真実が判れば、それで他人を攻撃できるし、威張れるから、そこで成長が止まってしまう。
陰謀論者は、真実を全て見つけるのが目的ではないし、他人を助けるのが目的でもなく、他人を攻撃して大衆に威張るのが目的である。
他人を攻撃したい性根を直さないと地獄へ落ちる。
キチンと他人に忠告するように生き方を直した方がいい。
俺も他人を攻撃する欲を抑えて、他人を助ける意識を持つように気を付ける必要がある。
割と初期の頃は、薬害で虐殺する連中に対する怒りで、なかなか自制心が利かなかった。
穢れた魂とか言ったけど、そこは言わなくても、犯罪者だと言うだけで良かったから、訂正する。申し訳ありませんでした。
ただし、薬害の推奨派は、犯罪者だから地獄へ落ちるのは変わりない
2、同族
俺は聖書を読む前は性根が腐っていたから、性根の腐った陰謀論者が判る。
同族というのは、割とすぐ見破れるモノだ。
俺は聖書を読んでからは、性根を直そうと努力している。他人が天国へ入れるように、方法論を教える。
3、薬害
妙な液体で騙されて薬害に遭った人は、神を冒涜した事を謝罪すれば、赦されて、天国へ入れる。
疫病は、背教者に対する神の天罰だから、妙な液体で天罰を蹴散らそうとするのは、効果がなくても冒涜になる。
自力で神に立ち帰る能力が有る内は、反省したら赦される。
薬害を推奨した連中は、神を冒涜する悪行をするように人々を唆したのだから、何をやっても赦される事はない。
悪行を唆すのに、気の迷いなど無いからだ。
4、半端か最下位
会社も一番に下の警備員が一番に威張る。
中途半端な人間が一番に威張る。
一番に何も判っていない人間ほど、一番に威張る。
何も判っていない人間は、敵・嫌いな奴・悪人を見たら、攻撃するチャンスと思って威張る。
神の信者なら敵・嫌いな奴・悪人を見たら、愛して、天国へ入れるように教え諭す。
愛するとは、天国へ一緒に入れるように指導する事。
5、偽神
殺人をしてしまうのは何かの拍子かも知れないから、反省したら赦される。
しかし、殺人を擁護するのは、赦されない。
何かの拍子で悪行を擁護するなんて在り得ないからだ。
というか、悪行の擁護を何かの拍子でやるとか、どんな拍子なのか説明してみろと思う。
悪行を擁護するのは、悪行を唆すのと同じだから赦されない。
蛇も唆したけど赦されなかった。
殺人犯の死刑囚でも、死刑執行の一時間前に改心すれば、赦されて天国へ入れる。
イエス・キリストの隣で磔刑に架けられた殺人犯も、死刑の一時間前に改心したら「あなたは楽園に居る」と神であるイエス・キリストから、天国へ入れると確定された。
赦すかどうかは神が決める事。
人間が犯罪者を赦すかどうかを決める権利はない。
人間ができるのは、自分に対する加害者を赦す事だけ。
人間は他人の被害で加害者をを勝手に赦してはいけない。
人間が犯罪者を反省しているかどうかを判断するとか、神のつもりか。
自分が神だと言う奴が出てくる。
メシアとは、救世主であり、天の主であり、イエス・キリストの事だ。
そのメシアを騙る偽物が出てくる。
自分が神だと自称する奴らが出てくる。
神だけが人を赦す権力を持つのに、まるで人間の自分が人を赦す権力や資格があると言い張る奴らが出てくる。
さっきも言ったように、人間にできる事は、自分に対する加害者を赦す事だけである。
自分が被害を受けていないのに、犯罪者を赦すとか反省しているとか決められると思っているのは、自分の事を神と思い上がっている奴らである。
他人の被害で加害者を勝手に赦すかどうかを決める奴らが、偽メシアであり、偽神である。
人間にできるのは自分に対する加害の犯罪者を赦す事だけ。
自分に関係がない犯罪の加害者に対してできる事は、新約だと排除するか、神の教えを諭すために監禁して聖書を与えるぐらい。
旧約時代だと、神が決めた掟に違反したり、神に対する犯罪は、石打ち刑で死刑にしていた。
だから、犯罪者が反省しているかどうかを決めるのは、自分を神だと自称する偽神・偽メシアであり、サタンの罠に引っかかっている。
犯罪者が反省しているかどうかを判断する権利が自分にあると洗脳されているのは、サタンの数千数万の策略の一つである。
大衆が他人を反省しているかどうか決める価値観に賛成しているのが、1人だろうと1億人だろうと、偽神は偽神である。多数派だから赦される理由にならない。
俺も昔は、他人が反省しているかどうかを決めていたかもしれないけど、謝罪する。申し訳ありませんでした。
ただ、他人が神に立ち帰るには、神に背いている言動を指摘する必要があるから、そこは正しいと思っている。
そもそも、人間が他人に対して更生するわけがない。
神に対して更生する事だけが可能である。
神に対して更生したら、自然と他人と和解する。
神は「人間同士で和解しなさい」と言っているから、神に立ち帰った信者は、必ず人間同士で和解する。
信者ではない非信者は和解しないから、そういう非信者に対して挨拶しないで、家にも受け入れないで排除する。
7、公正な態度
他人の被害で加害者が反省しているかどうかを勝手に決める奴は、仲間が加害者だった場合は勝手に赦して、被害者に対して「許せよ」と圧力を掛ける。こういう人間は公正ではないから排除する。
他人の被害で加害者が、身内だろうが、他人だろうが、敵だろうが、犯罪者は犯罪者として断罪する必要がある。
しかし、自分に対する加害は、誰が相手でも赦す必要がある。しかし、加害者が神に立ち帰る事が反省の証だから、朝から晩まで神の教えを諭して、加害者が神の掟を守る生き方をするまでは排除したり監禁する。
神の教えを携えない者には挨拶してはならない。
人間は人間に対して反省しないのだから、自分個人に対して謝罪してきても受け入れてはならない。
神に対して反省して、自分の神に対する罪を謝罪して、神の掟を守る人生を過ごしている人だけを受け入れる必要がある。
たとえ相手が敵だったり・嫌いな奴だったり、悪人でも、神の掟を守る人間なら受け入れる。
たとえ相手が身内だったり、好きな相手だったり、善人でも、神の掟を守らない人間なら受け入れない。
神に対して反省しているなら、自然と人間相手でも反省するモノだ。
8、越権行為
神に対して「越権行為をして申し訳ありませんでした」と謝罪したら、神は赦すかもしれない。判らないけど。
悪人に対して、悪人の悪行を悪行だと指摘しないと、悪人は自分の悪行を悪行だと認識できないから、指摘するしかない。
赦さないと言って正義感て断罪して裁くのは、神に対する越権行為になるから、どの程度まで悪人の悪行を指摘して良いか、難しいところである。
どこまでが悪行の指摘で、どこからが断罪の裁きか。
聖書から導き出せば判るだろうか。
神だけがしていい言動を人間がすると偽神になる。
神を自称したから偽神なのはもちろんだけど、神だけがしてもいい言動や執権行為をしたら偽神になり、神に背いているから、地獄へ落ちる。
裁判官は裁くけど、制度に従いなさいと神は言っているから、裁判所は制度として法律化されているため、裁判官は罪には問われないと思う。判らないけど。
被害者や世間に赦してもらう必要はない。
被害者が神の信者なら、謝罪されなくても、とっくに赦している。
被害者に謝罪する形が重要なのである。
被害者に謝罪する形を取れば、加害者を神は赦してくれる。
被害者が赦さなければ、神は被害者を赦されない。
赦さなければ神も赦さない。
俺に対する加害者である毒親とか周りの人間を赦している。
ただし、神の教えを携えなければ、挨拶しないし受け入れないから、毒親とは今でも音信不通である。
神に立ち帰っているなら、自主的に謝罪しに来ている。
どこまで悪人の悪行を指摘したらいいか判らないから、あまり指摘すると自分が罰を受けそうだから指摘するのは嫌だけど、エゼキエル書33章で警告しなさいと言われているため、エゼキエルの方でとりあえずやるしかない。
裁く方法は、神の掟で裁く。
「わたしの裁きによって裁かねばならない」とは、「わたし」は神の事。
だから、神の裁き方で裁かねばならない。
神の裁き方とは、聖書に書いてある。
聖書に基づいて、人を裁く必要がある。
人間の勝手な価値観で他人を裁いてはならない。
次のようなのもある。
神は世に居る人々を救うために来たから、裁かない。
神であるイエス・キリストは、人々が天国へ入れる方法を教えに来るために、人間の姿で生まれた。
神が完全なように、あなた方も完全になるように努力しなさいと聖書にある。
この世で人の悪行を指摘する時も、悪行をしたら地獄へ落ちると忠告して、救うために天国へ入れる生き方を教える。
裁くのではなく、助ける意識で、悪人の悪行を指摘する。
世間に赦してもらうのは、世を愛している事になるからダメ。
そもそも、第三者は、被害者が赦したら、もう手を出してはいけない。
ダビデとナバルの争いでナバルが死んだら、ナバルの妻のアビゲイルが赦したら、ナバルとアビゲイルの親族はダビデに復讐しなかった。
世間を騒がした罪はない。そんなのは制度として成立していない。制度として立法化されたモノにだけ従えばいい。
世間が犯罪者を赦すかどうか決める価値観に洗脳するのはサタンの罠だ。
数千数万のサタンの罠の一つだろう。
神の権力を侵害する越権行為だから、世間が丸ごと地獄へ落ちる。
罪を赦すかどうかは神の権限だ。
犯罪者を赦すかどうかを世間が決めていたら、世間が丸ごと地獄へ落ちると忠告する。
日本人は、そういう意味で世間が丸ごと洗脳されて神に背いている。
サタン側が2000年前4000年前から、日本人がそうなるように洗脳し続けていたのだろう。
この罠から逃れる方法は、加害者が被害者に謝罪したかどうかだけで判断する必要がある。加害者が被害者に謝罪したら加害者を受け入れるし、被害者に謝罪しないなら排除する。
ただ、神の計画では、そういう世間が存在すれば、改心しない悪人を懲らしめる事ができるから、そのように創ったのかもしれない。
復讐は神がするというから、改心しない悪人を、死後に地獄へ落とすのか、現世でも何らかの方法で非信者の世間を焚き付けて懲罰するのか。
改心する善人なら、被害者には謝罪するけど、世間には謝罪しない。世間に排除されようと、世を愛してはならないから、気にしない。
9、指図
人間に指図して良いのは神だけ。
人間に指図する人は、神になったつもりか。
人間に指図する人は、神の領分を犯す越権行為をしている。
人間に指図する欲も、数千数万のサタンの罠の一つなのだろう。
人間がしていいのは、神の指図を他人に教える事だけ。
人間がしていいのは、神の教えを言ったり、聖書解釈する事だけ。
俺は、気付かずに指図したかもしれないから、申し訳ありませんでした。
ただ、人間は完ぺきではなく、罪を犯さない人は存在しないから、真摯に聖書解釈に取り組んでも間違える危険性がある。
罪を犯さない人は存在しないから、俺も間違える場合があるため、俺の聖書解釈を参考にしても、妄信してはいけない。
俺は知能も平均より低いから、能力的に間違える危険性がある。
10、善悪の決め方
集団であざ笑って善悪を決める雰囲気を作ってはならない。
善悪を決めるのは神の権能である。
日本人の雰囲気や空気であざ笑って善悪を決めるやり方は、地獄へ落ちるから止めろ。忠告したからな。
善悪を決めていいのは神だけだから、人間が勝手に善悪を決めたら、地獄へ落ちる。
11、パウロは義務を果たさない
パウロはローマ市民権に明文化されていない義務を果たさない。
パウロは、鞭打ち刑になる直前まで、自分が市民権保持者である事を言わなかった。
本来、貴族なら貴族の格好をするし、武士なら武士の格好をするため、権力者は権力者の格好をするモノだから、市民権保有者なら市民権保有者の格好をするはずである。
しかし、パウロは鞭打ち刑の直前まで市民権を言わないから、普段から市民権保持者の格好をしていないのだろう。
多分、市民権保持者としての明文化されていない義務を果たすのがメンドイから、普段から市民権保持者の格好をしていなかったのだろう。
どんな時代のどんな国家でも、特権を保有している人は、何らかの義務を課せられるモノだ。
それも、明文化されていない義務もある。
特権を与える方が明文化されていない義務を要求する場合がある。
ただし、こういう明文化されていない義務は暗黙の了解だから、守らない人も多いため、結構ナアナアで運用されていたりするから、守らなくても罰はない場合が多い。
明文化されていない義務は、大衆が勝手に作る場合もあるし、勝手に作った義務を果たさないと難癖を付けられる。
そういうのがメンドイから、パウロは普段から市民権保持者の服装をしていなかったのだろう。
神からの義務は果たさないといけないけど、この世の人間の義務を守るかどうかは場合による。また、大衆が勝手に作った義務は果たさなくてもいいから、市民権保持者の格好をしなくても、特に問題はないと思う。
まあ、あまり褒められた行動ではないけど。
聖書では悪人が自分だとバレたくなくて変装して動く時に、神に懲罰されるから、自分の義務から逃げるために変装するのは、少し危険である。
ただ、その義務は大衆・世間が勝手に捏造したモノだから、制度ではないから守らなくても大丈夫だと思う。
聖書には制度に従いなさいと神が言っているから、法律化された制度には従う必要はある。
大衆が勝手に作った義務は従う必要はないし、従ったらいけない場合もあるから、従わないのが無難である。
まあ、市民権保持者の格好をしないのは、あまり褒められた行動ではないけど。
具体的に当時の西暦30年から50年の大衆が、市民権保持者に対して、どんな要求を勝手にしていたのか判らないから、何とも言いようがない。
だから、パウロの市民権保持者を隠す行動を咎めはしないけど、褒めもしない。
ただし、与えられたならタダで与えなさいとあるから、パウロの隠ぺい行動は、少し危険である。
市民権をタダで与えられたのだから、他の人よりも多く求められて、多く任された者はさらに多く要求される。
ただし、パウロに対して勝手な要求をするのは、偶像崇拝する背教者しか居ないから、期待を拒絶しても、そこまで問題にならないと思う。
パウロは、使徒を自称して、他の使徒よりも多く貢献したと言うけど、その貢献は、漁師に比べて多く貢献したと言えるのだろうか。
市民権と漁師は、どれぐらいの権力の大きさなのだろうか。
2倍なのか3倍なのか。
他の使徒よりも多く貢献したと言うなら、何倍の貢献をしたつもりなのだろうか。
市民権と漁師は、何倍の貢献で埋められる差なのだろうか。
市民権はずいぶんと安い特権なんだな。パウロがそう思っているだけかもしれないけど。
他人と比べると、こういう観点から突っ込まれるから、あまり比べない方がいいと、神は言っているのだろう。だから、神は平等にしろと言う。
また、年齢や習熟に関係なく平等に行う。
神は、このように格差を付けるなと言っている。
使徒を自称するぐらい自己顕示欲の強いパウロでさえ、大衆が勝手に要求する義務には辟易して、市民権保持者の服装をしなかったぐらい、大衆の勝手な要求がすさまじいのだろう。
今の日本も、大衆が有力者や金持ちへの勝手な要求がすさまじいから、そんな感じなのだと思えば判りやすいだろうか。
ただし、有力者や金持ちは、神からの要求に答えなければ地獄へ落ちる。
100万円以上する和服を着て、町を練り歩いてみたら、どれぐらい期待されて要求されるか、実際に試してみれば判るかもしれない。
パウロは、平民の勝手な要求は拒否すれば良いだけの話なんだけど、それすらも面倒なぐらい平民が勝手な要求をするのだろうか。
あまり褒められた行動ではない。
拒否する態度が自己顕示欲を満たせないと思っているのだろうか。
むしろ、追い払うのも自己顕示欲を満たせそうな気がするけど。
いい顔したいのかな。割と素直なのか、気がいいのか、他人の期待を裏切りたくないと思っているのか。
パウロは実直で行動力がある性格だから、他人の期待を断って、他人がガッカリするのが嫌なのだろう。
パウロが素直なのは、親がファリサイ派だから、そのままファリサイ派に入って、信者を虐殺するまで親に従ったのが証拠である。
今の日本で、親がカルトだから自分もカルトに入信して、殺人までする素直な日本人など存在しない。
今の日本人は、親とか所属集団よりも、自分の個人的な世間体・欲望・気分にしか興味が無い。
今の日本だけでなく、いつの時代でも、どの国でも、親と同じ宗教に入って殺人までする素直な人間は、そうそう居ない。そんな殺人事件のニュースを聞いた事もないだろう。
宗教二世の殺人事件があっても、何億人何十億人の人口が居る中での発生である。パウロが居た時代のイスラエルは数百万人ぐらいしか居ない。
だから、パウロは、かなり珍しい存在である。
一応、言うけど、初代で自分で入信した奴の殺人事件は参考にならない。
一応、言うけど、親とカルトの利益のために殺人をするのであって、恨んで殺人をするのとは違うから、取り違えてはならない。
恨んで殺人するのは多いけど、カルトのために殺人する宗教二世は極端に少ない。
パウロが相手だからといって、俺は何でもかんでも難癖を付けない。
しかし、偽装キリスト教団みたいに何でもかんでも擁護しない。
公正に判断する。
ローマの市民権保持者の服装は、足首まである服でタスキみたいなのをかけているのだろう。
ローマの平民は、膝上までの布地の服なのだろうか。
この辺りは良く判らないから、何とも言えない。
当時のローマ帝国は、今の日本と同じように多神教だったから、大衆が自分たちで勝手に善悪を捏造するから、相手をするのが、パウロにとってメンドウだったのだろう。
今の日本も、大衆が勝手に善悪の雰囲気を捏造するから、メンドイ。
大衆が勝手に決めると、ルールは明文化されていないし、明文化されてもコロコロ変わるから明文化されていないも同然である。
そんな大衆の気分でコロコロ変わる理屈をイチイチ相手していたら、人生をドブに捨ててしまう。
12、多神教と善悪捏造
多神教だから、勝手に善悪を作るのか。
勝手に善悪を作りたいから、多神教にしたがるのか。
2000年前に日本はイエス・キリストに立ち帰った。
しかし、厳しい神の掟を嫌がって、甘い神道へ靡いた。
だけど、具体的にどんな経緯なのか判らない。
正しい唯一神から、エセ一神教になってから、多神教へ移行したのかもしれないし。
昔の人の方が知能が高いと言う話は聞いた事がある。
今みたいに単純労働しかしない時代と違って、色んな作物を作ったり、自然から色んな原料を取って加工していたからだ。
知能が高いと、多神教で色んな概念を作って暗記できるのだろうか。
ただし、多神教でムードや空気で流されて思考停止になっていると、世代が経つごとにドンドン知能が悪くなっていって、多神教の暗記が出来なくなって、エセ一神教に流されてしまうのだろう。
だから、正しい唯一神から、多神教へ移って、エセ一神教へ移行するのが妥当だと思う。
13、ファシスト
出て行けと言う奴は、外国の迷惑である。
なぜ、勝手に作って、不都合なら捨てるのに、外国が引き受けないといけないのか。
この程度も判らないファシストは、世界中で袋叩きにされる。
ファシストだから自己中なのか。
自己中だからファシストになるのか。
自己中だからファシストに擬態しているのか。
左翼も自己中だから左翼に擬態するのか。
左翼にのめり込むから自己中になるのか。
14、制度と責任者
制度で法律になっても、責任者が居なかったら従わないし、責任者が無責任なら従わないし、従って失敗した時に回復不能なら従わない。
何で法律だから従わないといけないなんて思い込んでいるのだろう。
洗脳されている。
思考停止になっている。
全ての国家の権力者はサタンから権力と繁栄を貰っているのだから、誰が大臣や長官になっても信用に値しない。
身辺調査したところで、信用できる人物など存在しない。
上手く隠した人物が権力の座に座るだけである。
身辺調査をしたら信用できる人物が見つかると思っているのが、ピュア過ぎて人を疑えない平和ボケである。
命を懸けて戦いたくないから、信用できる人物を探し求める。
15、戦う気概
神の信者なら、どんな人間が責任者になろうが、悪魔崇拝に従う事を命令して来たら、抵抗して殉教を狙う。
ダニエル書のように、悪王や悪徳側近が悪魔崇拝の儀式の参加を強要して来たら、従わないで殉教を狙う。
こういう戦う気概がなければ、どんなに手を尽くして調べても、何の意味もない。
臆病者が居ると邪魔になるから家に帰らせろ、と聖書に書かれている。
情報収集は、戦って命を懸けるのが前提で行うモノだ。
命を懸けないのに情報収集をしても無駄である。
調べるのは戦って命を懸ける前提が必要だ。
戦いたくないから信頼できる人を探すのではなくて、戦って命を懸けるために天の主を探し求めて殉教を狙えば、サタンは逃げる。
戦いたくない人間に悪魔は近づいてくる。
命を懸けない人間に悪魔は近づいてくる。
信者・義人が居なくなると、この世はソドムとゴモラのように亡ぼされて、サタン側が地獄へ落とされて、永遠に焼かれるか、魂を消される。
だから、サタン側は信者を殺したくない。
だから、信者が命を懸けて殉教を狙ってサタン側の命令に逆らうと、サタン側が腰砕けになって何もできなくなる。
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