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信憑性の優先順 銃で素手と成果を比べてはいけない 好かれても嫌われてもダメ 団塊暴走

1、信憑性の優先順位
死後の天国と地獄を創った神を信じる信者の言う事は信じないで、一度も死んだ体験の無い無神論者の言う事は妄信するから、騙される。
一度も海外へ行った事のない人の海外旅行の話を妄信するようなもの。

信憑性を考えないで、自分が信じたい者を信じるから騙される。

聖書でも、優先順位がある。
最優先は新約の神の言葉。
次に旧約の神の言葉。
次に新約の使徒や旧約の士師・預言者の言葉。この辺りは優先順位が厳格にはならなくなる。
次に正しい人の言葉。
次に信者の言葉。
背教者の言葉は信用に値しない。

物事の優先順を考えない人は、普通の生活をしていても騙されるし、聖書を読む時も騙される。
偽装キリスト教団が聖書の全ての内容を同列に扱うから、偽装キリスト教団の言う事を鵜呑みにしたら地獄へ落ちる。

2、言語の優劣
優秀な言語を使っているのに、その程度なのか。
比べる相手を間違えて、普通は劣等感を感じないといけない場面なのに、なぜか優越感を感じる。
感覚がアベコベだから、仕事ができないし、物事を見通せないし、騙される。

強い武器を使うなら、同じように強い武器を使う人間と成果を比べなければならない。
比べるのは精神病になるから止めた方がいいけど、比べるなら比べ方というモノが存在する。
銃を使うなら、同じように銃を使う人間と成果を比較すべきである。素手の人間と成果を比べてはいけない。
言語の優劣を比較して悦に入っている人間は、恥を掻いているのが理解できない。

聖書では、バベルで言語を分けたり、教会の集まりで全ての国の言語が話せるようになるけど統一されていないから、言語の優劣は無いと解釈した。

3、好き嫌い
世に迎合して好かれてはいけない。

世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。

ヨハネの手紙一 2:15 (新共同訳)

しかし、意味もなく世間に嫌われるような事をしてはいけない。
神の掟を守って迫害される嫌われ方をする必要がある。
自分勝手な生き方で犯罪や悪行三昧をして世間に嫌われるのは、むしろ神に背く。
人々の神に対する犯罪を糾弾して迫害される生き方が天国へ入るために必要である。
以前、周りの人間に神の教えを諭す気力があるなら、ネットで全員に平等に語った方がいいと言ったけど、両方やった方がいいのだろう。間違っていたから、申し訳ありませんでした。
ただ、闇雲にやっても意味がないから、一回でも言って改心しないなら、それ以上する必要はないだろう。エゼキエル書33章の警告しなさいという命令は、一回でも警告した事になる。

好かれたい欲望も、嫌われるのを奨めるのも、どちらもサタン側の罠である。
極端な二択だけを用意して、両方とも地獄へ落ちる選択にする。
神の掟を守るタイプの嫌われ方が天国へ入るために必要である。

好かれなければならないと言っている人間は、サタンの手下である。
嫌われてもいいと言っている人間も、サタンの手下である。

サタン側は、こういう手口を使って人々を騙す。
二つの真逆のような選択肢を与えて、片方が正しいと人々を錯覚させる。

二つに分かれて争っているからといって、片方が正しいとは限らない。
大抵は両方とも間違っていると考えた方が正確である。
日本人が片方を妄信するのは、他人に依存しているからだ。
何かを決める責任を自分で背負いたくないから、他人の言う事を妄信して責任を擦り付けようとする。結局は、その他人は逃げて騙される。

好きと嫌いは対義語ではないと前に書いた。
サタン側が学校を支配しているから、好きの対義語を嫌いに洗脳した。
聖書的には、好きの意味合いは自分勝手・身勝手・自己中な感じ。
聖書で好きには、いさかい好き、好きな料理で祝福を横取り、女奴隷を好きにして苛める、など、あまりポジティブな使われ方をしない。

アブラムはサライに答えた。 「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」 サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライのもとから逃げた。

創世記 16:6 (新共同訳)

言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。

新約聖書:ルカによる福音書:4章:6節

サタンが魂を売った人間に権力を「好き与える」と書かれているから、極限に悪徳の場面で使われる。

わたしにまだ男を知らない娘がふたりあります。わたしはこれをあなたがたに、さし出しますから、好きなようにしてください。ただ、わたしの屋根の下にはいったこの人たちには、何もしないでください」。

旧約聖書:創世記:19章:8節

性犯罪を好きなようにするという意味で使われる。

そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。

ルカによる福音書 23:25 (新共同訳)

神であるイエス・キリストを好きなように殺す。

言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」

マタイによる福音書 17:12 (新共同訳)

ヨハネという名のエリヤを指導者として与えても、人々は身勝手に好きにあしらった。

聖書的には好きの反対は嫌いではない。
嫌いという言葉も、かなりネガティブな場面で使われている。

ヨブ記 19:17 (新共同訳)
息は妻に嫌われ 子供にも憎まれる。
シラ 32:17 (新共同訳)
罪深い者は、批判されることを嫌い、 独りよがりな見解を持つものだ。
申命記 22:13 (新共同訳)
人が妻をめとり、彼女のところに入った後にこれを嫌い、
箴言 14:20 (新共同訳)
貧乏な者は友にさえ嫌われるが 金持ちを愛する者は多い。
シラ 37:20 (新共同訳)
巧みに言葉を操って、嫌われる者もいる。 こういうやからは、食べ物にも事欠く。
シラ 10:7 (新共同訳)
高慢は、主にも人にも嫌われ、 不正は、そのいずれからも非難される。
箴言 15:12 (新共同訳)
不遜な者は懲らしめられることを嫌い 知恵ある人のもとに行こうとしない。
アモス書 5:10 (新共同訳)
彼らは町の門で訴えを公平に扱う者を憎み 真実を語る者を嫌う。

しかし、嫌いという言葉の方がいい感じで使われる場合もある。

知恵の書 1:5 (新共同訳)
人を教え導く聖なる霊は、偽りを避け、 愚かな考えからは遠ざかり、 不正に出会えばそれを嫌う。
知恵の書 11:24 (新共同訳)
あなたは存在するものすべてを愛し、 お造りになったものを何一つ嫌われない。 憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
シラ 19:6 (新共同訳)
口を慎む人は、平穏に暮らす。〕 無駄口を嫌う人は、心の負担が軽くなる。
シラ 33:2 (新共同訳)
知恵ある人は律法を嫌わない。 律法に誠実でない者は、嵐の中の小舟のようだ。

聖書で好きの言葉には、ポジティブな使われ方はほとんどないけど、嫌い嫌わないの言葉には時々ポジティブな使われ方をする。

本来、好きという言葉は、良くない言葉だ。
嫌いという言葉は、良し悪しである。
サタン側は、この部分を捻じ曲げて、好きと嫌いを対義語に洗脳した。
そのため、人々の好き嫌いの感情がおかしくなって、異常者が大量生産されたのだろう。
好かれてはいけないし、嫌われてもいけない。なぜ、極端な二択の片方を選んで人々は人生をドブに捨てるのか。それは、好きと嫌いを対義語だと洗脳されているから、二択の一つしか選ばないからだ。
優先順位を間違えているとも言える。
「世に媚びる」のと、「世を踏みにじる」という極端な二択はどちらも正解ではない。正解は、神の掟に基づいて、人々の神に対する罪を糾弾して迫害される生き方である。

4、団塊の行き当たりばったり
団塊の世代に好都合な行き当たりばったりに対応できるわけもない。
昔は定年が50歳だったのは、当時の若いころの団塊の世代が会社のポストを欲しかったからだ。
しかし、今では、定年撤廃で死ぬまで働けと言うのは、団塊の世代が都合よく若い労働力を確保するためだ。
人間のルールはコロコロ変わる。
神のルールなら、50歳で定年は永遠に続くから、コロコロ変わらない。

当然、そんな特定の世代に好都合な行き当たりばったりに対応できるわけもなく、労働力不足に陥る。
団塊の世代は、他人の利害・都合で行き当たりばったりでルールがコロコロ変わっても対応できた事があるのか。

多分、サタン側がこういう風に行き当たりばったりにして、何か社会を極端から極端に揺さぶって、人々を恐怖で思考停止にして洗脳するのが目的なのだろう。
団塊の世代は、好都合な理屈で頭がふやけて、まともに物事を考えられなくなる。

5、宗教の皮を被った利権集団
宗教という言葉は語弊があるけど、横へ置いといて語る。

宗教を知らないのに宗教を怖いと思う人が多いから、宗教を偽装して権力を手に入れようと企む奴らが出てくる。
怖いと思うから無知なのか。
無知だから怖いと思うのか。
天の主を自ら信仰する人以外に宗教心はない。
本物の神を信仰しないから、偽物がやりたい放題する。
本物を信じない人が多いのが原因で、偽物が犯罪をする。

6、人生の無駄
就職していようが犯罪は犯罪である。
忙しい自慢するために就職する人が居る。
マウントを取るために就職する人が居る。

雇用創出は1人あたり毎年700万円かかる。1回だけでは済まない。毎年かかる。
雇用調整助成金でも大金が掛かる。
9割は無駄な仕事だという話もある。
江戸時代に比べてエネルギーの消費量が100倍になっているから、99%は無くても死なない仕事だと言えけど、必要ないとは言わない。
神に立ち帰るのが人間の使命だから、神以外について知る必要性はないけど、息抜きとかで神に立ち帰る英気を養うのは良い。

悪人が良い事を言えば褒める。
悪人が悪い事を言えば咎める。
善人が良い事を言えば褒める。
善人が悪い事を言えば咎める。
こういうメリハリの付いた考え方ができないと、自己顕示欲を満たすために我慢するという訳の判らない生き方をして、時間をドブに捨てる。
マウント用の肩書を手に入れるために仕事をするという、人生を台無しにする生き方しかできなくなる。
優先順位を間違えて周りの雰囲気に流されるから、マウント用の肩書のために我慢する人生になる。

自己中だろうと控えめだろうと、神を信じていない人間は両方とも同じように悪い。
こういう無駄な比較をしているから、人生を無駄にする。
その比較は意味があるのか、と思うような比較をするのがマウント人間である。

7、強盗の自覚
1人雇うのは募集広告で100万円ぐらい掛かるから、「退職するなら代わりの人間を用意しろ」と言っている奴は、100万円を強盗しているのと同じ。
こういう自分が犯罪者だという自覚がない犯罪者が多すぎる。

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