非信者と挨拶しない 信者の体が教会 謝罪 犯罪芸人 非信者と豚に真珠を与えてはならない
1、非信者
非信者に挨拶をしてはいけない。
非信者に挨拶してはならないのは、非信者の相手をしていると時間と人生をドブに捨てて、地獄へ道連れにされるからだ。
2、共有と慈善事業
貧しい人は、財産の共有をしなくていい。
貧しい人は、財産を共有しなくていい。
何か出せるモノがないと参加できないと思わなくていい。
信者の体が教会であり、神を知る事が神を喜ばせるから、聖書を読んで、神を信じて、神の掟を守るのが大事である。
教会は神を知る場所だから、神を知る機能のある信者が教会である。
貧しいとは、畑がないとか家がないとか、そういうのだろう。
聖書の他の箇所でも、天の主が家を与える描写がある。
神は貧しい者を作って、慈善事業ができるようにする。
3、平等
平等を間違える人が多い。
国は国民を平等に扱う義務はあるけど、国民は他人を平等に扱う義務はない。
非信者は男女平等をする義務はない。
神は人々を平等に扱う。
悪人にも善人にも等しく雨を降らせる。
神が完全であるように、あなた方も完全であるようにしなさいと書いてある。
信者なら、人々を平等に扱うけど、非信者は平等に扱わない。
例え、身内だろうと、敵だろうと、悪人だろうと、善人だろうと、犯罪をしたら平等に咎める。
犯罪をした人間が誰であろうと戒めるのが平等に扱う態度である。
神に対する罪を朝から晩まで毎日に渡って説教して反省をうながすのが平等な態度だ。
4、悪口の嫉妬
クラスに1人の面白さに嫉妬している犯罪芸人は、その面白さに達していないのだろう。
犯罪芸人がクラスの人気者を妬んでいる。
悪口は、自分が一番に効く言葉である。
この犯罪芸人のフリートークに見せかけた台本トークを見た事はあるけど、確かに大して面白くもない。
あの程度のトーク力では、学校のクラスに1人は居る面白キャラには勝てない。
グルメでも旨いモノが食べたいのではなく、情報を喰っている人が居る。
お笑いでも、本当に面白いモノではなくて、お笑いを判っている自分に酔っている偽ファンが存在する。
自己陶酔のついでに、自分の犯罪をウヤムヤにするために、犯罪芸人を増長させれば、自分の犯罪が誤魔化せると思っている偽ファン。
俺も前までは何の興味もなかったのに、犯罪芸人がタダの演者だと気付いてから、ちょっとうらやましいと思った。
構成作家と編集者のおかげだから、楽に活躍できる。
ネタやアイディアを出さなくても演技するだけでいいのだから気楽だ。
まあ、犯罪はしてはいけないからやらないけど。
羨ましいというよりも、楽な人生でいいなあ、と思うだけかもしれない。
どちらかというと、毒親相手に苦しむから、毒親による苦しみから解放されるなら何でもいいのかもしれない。
今でも、毒親の毒が残っているから、何の苦しみもない人生を羨ましく感じてしまう。
聖書を読んで神に立ち帰る努力をしてから、そういう毒はほとんど消えた。
犯罪っ芸人は、自分の都合と利害でノリがいいか悪いかを決める自己中。
ルールを明文化しない。
明文化されても、都合で変更する。
変更方法も権力者が気分で変える。
独裁国家でも作るつもりだろうか。
5、訂正
世の範囲 自己責任は代替 命の選別は自己申告 比べない 日本人の難癖は保身 謝罪 反日|まいやす (note.com)
この投稿の9で中国人は存在しない、反日教育をやめても、反日を口実にした攻撃ではなく、タダの敵を攻撃として攻撃する、と書いた。
「誰だって隣に犯罪者が引っ越して来たら、荒んだ考え方で警戒する。」と書いたけど、「誰だって」ではなく「非信者なら」に変える。
非信者は、犯罪者が近くに居たら、殺しても罰がないなら殺す。
信者なら、犯罪者が近くに居たら、反省して、神に立ち帰って、二度と犯罪をしない人生をするように説教する。
6、成果
神は成果を出せとは言わない。
世間は成果を出せと言う。
非信者は成果を要求する。
信者は成果を求めない。
信者は天の主への信仰を他人に求める。
7、一生
自分がやった犯罪ですら一生に渡って背負う覚悟が無いようでは、生まれ付き神に対して犯している罪を一生に渡って背負う覚悟はない。
神に対する犯罪を反省するのが、この世の試練であり、天国へ入る方法である。
自分の意志で犯罪したのに、時効だとか、大した事ではないとか、昔の事だとか言っている奴らは、神に対する「自分の意志ではない犯罪」を絶対に反省しない。
しょうもない犯罪芸人という言い方が悪口なら、言い換えて、しょうもない生き方をしてはいけないと言っておく。
申し訳ありませんでした。
8、責任逃れ
薬害を認めたくない人は、よほど自分が他人に注射するように圧力を掛けたから、自分の悪行から目を背けたいのだろう。
自分の悪行を矮小化したいのだろう。
自分の悪行をウヤムヤにするために、他人を攻撃するのは、さらに悪行を重ねて地獄へ落ちる。
悪行をしたら「申し訳ありませんでした」と謝罪して、損害賠償して、二度と犯罪をしない生き方をする必要がある。
ただ、世の中には、謝罪は要らないから、再発防止に人生を全て捧げろと要求する被害者も存在する。
自分の再発防止だけではなく、他人の悪行も予防しろと要求する被害者も存在する。
そこまでする必要があるのかとは個人的には思うけど、神的には、悪人は改心の証として、他人の悪人の悪行を予防・防犯する義務があるだろうか。
聖書には、同胞の悪行を率直に戒めろと書いてあるから、犯罪をした事のない人でも、悪行を防犯する義務はあるのか。
9、豚に真珠
非信者は、あなたの代わりなんかいくらでも居ると思っている。
天の主は、あなたの代わりは居ないと断定している。
神に立ち帰って知恵を手に入れた人は、どのような財宝も比べることはできない。
金目当ての非信者には、他人の尊さが理解できない。
豚に真珠を与えてはいけない。
信者の話を、非信者に話しても価値を理解できず、噛みついてくる。
それでも、戒める話をする必要はある。
10、毒親と泣き寝入り
泣き寝入りする人は、ちゃんと上に相談したのか。
訴訟したいと上に言わないと訴訟できない。
相談したいと上に言わないと相談にならない。
他人の悪行を言っただけでは、事実を言っただけになって、訴訟も相談もしてくれない。
訴訟したいなら、キチンと上の人間に訴訟したいと言う必要がある。
相談したいなら、キチンと上の人間に相談したいと言う必要がある。
訴訟したいと言わないで、相談したいと言わないで、ただ「あの子はこんな悪い事をしている」と言ったところで、事実を言っただけで「どうしたいのか」という意見がないから何も動かない。
大人になるとかで泣き寝入りしていないで、キチンと「訴訟したい」とか「相談したい」とか言わないと、大人の社会は何も動かない。
大人の社会でなくても、お前だって他人から「あの人はこんな悪い事をしている」とチクられたところで、何か動こうと思うのか。
自分から自主的に懲罰しに行くのか。殴りに行くのか。
上司の立場になって物事を考えないから、泣き寝入りするしかなくなる。
真面目だから泣き寝入りするのではなくて、相手の立場になって物事を考えない自己中だから、損をするのである。
普段から上司の立場でモノを考えないから、上司に嫌われて、困っても、上司が能動的に助けてくれなくなる。
事実すら上司に言わないのでは、もう、どうにもならない。
世の中には、他人に迷惑をかけて自分が上だと思いたいだけのマウント人間が存在する。
マウント人間 - 検索 (bing.com)
自己中で相手を振り回して困らせれば、自分の立場が上だと思い違いをする底辺が存在する。
こういう自己中な奴が居たら、一秒で縁切りして二度と話をしてはいけない。
チームがどうだとか、世間体がどうだとか、仲間は「仲良くしてくれ」と言っているとか、下らない理由を気にするから損をする。
聖書で「神の教えを携えない者に挨拶してはならない」と書いてある。
毒親は子供を食い物にしているから、子供が他人の加害者に食い物にされると怒る。
自分の獲物を横取りされるから怒るのであって、子供の人生を守るために加害者に対して怒るのではない。
俺が小学生の時に毒親がこういう人間だった。
親が自己中だと逃げようがないけど、他人の自己中ぐらい正しく対処できないのだろうか。
それとも親が自己中の毒親だから、自己中の他人に対する正しい対処法を学べなかったのか。
毒親が子供を自己中の奴隷になるように洗脳したから、自己中の他人に対しても奴隷になるように、思考回路が出来上がっているのか。
俺は、聖書を読んだから、天の主の助けで、毒親と縁切りできた。
毒親の元に生まれるように神が創ってくれたから、サタン社会に貢献する気も無くなり、サタン社会に取り込まれなくて済んだから、神に感謝している。
毒親育ちは無気力になるけど、無気力だからサタン社会に貢献しようという意識もなくなり、おかげで取り込まれなくて済んで、地獄へ道連れにされる危険を回避できた。
毒親によって奴隷癖が付くと、神の奴隷になる事に何の抵抗感もないから、神が毒親の元に生まれるように創ってくれて感謝している。
心の貧しい者は幸いである、と神であるイエス・キリストが言ったのは、こういう理由もあるのだろう。
まともな親とか、自己中な子供を受け入れる親だと、神に絶対服従する意識が湧かないのだろう。天国へ入れなくなるから、最悪である。
神に絶対服従した方がマシな境遇に生まれなかった者は、不幸である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?