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アニメで泣く
子供の頃はアニメや実写ヒーローものをよく観ていました。
中学の頃からギターにハマり始め、そこからは音楽ばかりやっていてアニメなども観なくはなったのですが、今のこの年齢になって再びアニメ熱が再燃。
昔と違って今のアニメはとにかく画がきれいだし、観ていて飽きない、更にそのストーリーも繊細かつ複雑になっていて見応えがある。
またそのストーリーで泣かされることもしばしばで。
(これは年齢のせいもあるのかも知れませんが)
「バイオレット エヴァーガーデン」なんか、もうボロ泣きで自分でも引くくらいでした。
ヒーローものなんかでも勧善懲悪ではなく、それぞれの立場でそれなりの理由があってそうなった…という辺り、アダルトチルドレンと重なる部分もあって思わず頷いてしまうこともあり。
「鬼滅の刃」もそうでしたが、ここ最近の「僕のヒーローアカデミア」は毎回、涙なしでは観ていられないんです。
鬼滅における「柱」や鬼殺隊の面々と鬼、ヒロアカにおけるヒーローやヴィランのそれも何だか共通しているところを感じてしまい。
柱が鬼殺隊に入隊する経緯、炭治郎が鬼殺隊に入る経緯、鬼が「鬼」として存在するようになった経緯…
それぞれにそうなる理由があって、完全に「鬼=悪」と決め付けられない、「ヴィラン=悪」とも言えない、そんな理不尽さというか、今の世の中に対する警鐘のようなモノすら感じてしまいます
※以下、分からない方はごめんなさい
昨日のヒロアカにおけるトガヒミコなどはその個性が親から受け入れてもらえず、ひたすら否定され罵倒され続け、それは学校に入っても同じことになって友達も出来ないまま生きづらさばかり感じてしまう。
彼女がヴィラン連合に入る時「生きづらい、生きづらいよねぇ」と言っていたのをまた思い出してしまいました。
彼女が欲しかったのは親からの愛情、自分が好きなモノを「好き」と言えてそれを受け入れてもらえる環境だった辺り、これはまさしく機能不全家庭でありアダルトチルドレンとなっても仕方ない要素がそこにあった。
一方で障子くんとスピナーのように同じ「異形の者」でありながらもその途中に経験することの違いから一方は「ヒーロー」となりもう一方は「ヴィラン」となってしまったり。
エンデヴァーの轟家なども機能不全家庭そのものであり、そこで育った兄弟同士でもその扱いの差と、途中様々な出会いからその道が分かれてしまっていたり。
それぞれの「こうしたかった」「こうなりたかった」という叫びや、それを受け止めようとするヒーローの優しさにココロを打たれてしまいます。
この図式は鬼滅の柱や鬼にも通ずるところがあって、一言でどっちが善でどっちが悪か、決められないところにもココロが震えてしまったりします。
むしろ私などはどちらかというとヴィランや鬼の方に感情移入しがちだったりもして、こういう点からも今のアニメの面白さを感じているのかも知れません。
こんな観点からアダルトチルドレンを考察していくのも面白いかもなぁ…
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須藤 勝則
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