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ラストシーンは『ハートカクテル』風に@「賢者の贈り物」(1905)O. Henry

あらすじ

クリスマスイブ。妻(デラ)は愛する夫(ジム)へのプレゼントに頭を悩ませている。その手には、ほんのわずかなお金。悩みぬいたあげく、妻は自慢の長い髪を売り、そのお金で懐中時計用の鎖をプレゼントに選ぶ。帰宅した夫は髪を切った妻からのプレゼントにどんなリアクションをするのか…

『ハートカクテル』とコラボして欲しい♡

唐突だが『ハートカクテル』という作品をご存知だろうか?1980年代を中心に漫画雑誌「モーニング」に連載されたアーバンなラブストーリーだ。(表現古っ!)

当時、高校生だった僕はこの漫画を夢中で読んだ。バブルな時代だったし、大人になれば、こんなライフスタイルを送るのだろうと思い込んでいた。ファッションもここから学んだ。

もちろん、そんな大人にはなるはずもなく…

『ハートカクテル』はテレビアニメにもなっている。サムネイルのカティサークが印象的な、代表作「サリーの指定席」を紹介。

ようやく本題。
以下、妻は「デラ」、夫は「ジム」で説明していく。

この「賢者の贈り物」をハートカクテルの作風に置き換えて想像すると光景がはっきりしてくる。

物憂げにテーブルに座るデラ→手には1ドルと87セント→鏡の前で黄金色の髪をほどく→決心した表情のデラ→茶色の上着と茶色の帽子をかぶり、冬の街を歩くデラ→看板「マダム・ソフロニー髪用品各種」→少し冷淡そうな大柄なマダム(店主)→「この髪、買ってくださいます?」とデラ…

作者のわたせせいぞうさん、いつか描いてくれないかな。わたせさんの公式サイト『アップルファーム』にファンレターを送ってみようか。

いよいよジム帰宅→反応は?(ネタバレあり)

結論を言おう。

髪を売ったお金でデラは、ジムの懐中時計につけるプラチナ製の鎖をプレゼントに選び、帰りを待つ。

帰宅したジムはデラを見て、怒りでも驚きでもない、ただ呆然とした奇妙な表情を浮かべる。手にはデラへのクリスマスプレゼント。それは美しく長い髪を留める、宝石がついた鼈甲の櫛セットだったのだ。髪を短く切ってしまった今のデラには必要ない。

デラもジムへのプレゼントを渡す。するとジムはにっこり笑い、こう言う。

「クリスマスプレゼントはしばらくどっちも仕舞っておこう。君に櫛を買うために時計は売っちゃったんだ。まずはチョップ(骨付肉)を火にかけないか」

編訳者である柴田元幸さんはあとがきでこう語る。

都会の片隅で生きる名もなく貧しい夫婦をめぐる物語の、すべてがあらかじめセピア色に染まっているようなタッチは、個人的には決して嫌いではない。こういう出来合いのノスタルジアこそ諸悪の根源だという声もあることは承知しているのだが……。
『アメリカン・マスターピース古典篇』編訳者あとがきより

「見えるもの」と「見えないもの」

先日、ある祝宴の式次第をつくる機会があった。キリスト教系である母校の、同窓会関連の集いだったこともあり、聖書からことばをセレクトして、参加者に配る次第の冒頭に載せた。

私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは 過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
コリントの信徒への手紙II 4章18節

『賢者の贈り物』を読み、僕はこの聖句を思い出した。

ジムとデラのテーブルの上には鼈甲の櫛とプラチナの鎖。この「見えるもの」が2人の生活を彩る出番は今のところ無いかもしれない。しかしこの部屋に漂う「見えないもの」が、クリスマス・イブの2人の心に消えることのない火を灯しているように思える。

訳者の柴田さんが言う【セピア色に染まった、出来合いのノスタルジア】…それも決して悪くない。

僕はわたせせいぞう氏が描くこの物語のラストシーンを空想する。まるで『ハートカクテル』の一コマのような絵を。

いつかその絵を自宅の居間に飾り、妻とクリスマスを迎えることができたら、それは素晴らしい時間に違いない。


【収録】『アメリカン・マスターピース 古典篇』(柴田元幸翻訳叢書)

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