哲学〜アラン〜機嫌の良い考え方をする〜
今日のお気に入りの言葉です^ ^
経験にはふたとおりあって、気が滅入りものと、気持ちが明るくなるものがある。ハンターにも機嫌がいい人と嘆いてばかりいる人がいるのと同じである。嘆いてばかりのハンターは、ウサギをしとめ損ねて、こう言う。「やっぱり。おればかりこんな目に遭うんだ。」 機嫌のいいハンターなら、うさぎのすばしっこさに感心する。そもそも、人間に食べられるためにうさぎがぴょんと来てくれるはずがないことがわかっているからである。
【アランの幸福論 エッセンシャル版 アラン著 齋藤慎子訳 より】
一つの事象をどう受け止めるか次第で、その人の気分ないしは幸福度は180度異なるからこそ、良い方向の考えをした方が良い。そしてこの良い考えといのは決してむやみやたらにプラスに解して考えるべきということではなく、その事象の本質を捉えたうえで良い方向に考えるべきということを言っているように思えます。
この「ある事象をどう捉えるか」次第で幸福が左右するという考えは、私が最近読んでいる哲学者「ショーペンハウアー」の考えとも通づるところがあり、非常に感銘を受けました。
このアランの言葉の例からすると、食料であるウサギを逃したという事象であることから、親族が逝去したとか地震で持ち家が倒壊したというような誰にも共通する不幸な事象を前提として、「マイナスな事象であってもプラスで考えていきまそしょう」といっているように思えます。
ただ、私はさらに一歩踏み込んで夫婦間、友人間、職場内での「あいつのあの言動、行動、態度が気に食わない!」というような大雑把に言ってしまえばそれぞれの捉え方次第でどうにでもなってしまうような事象についても通じることであると思いますし、むしろそのような事象であればあるほど捉え方次第でどうにでもなってしまうわけですから、「捉え方」「考え方」というのはものすごく大切なことだな〜と改めて実感したところです。
最後まで読んでいただきありがとうございました^ ^
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