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暴力の創造性。

暴力はいかなる状況においても許されざる行為であるか。
暴力は排除するべきか。
暴力の正当性はいかほどか。
暴力は破壊か。

暴力の定義

 まず、暴力(Violence)とはなにか。辞書ではこうある。

乱暴な力・行為。不当に使う腕力。 合法性や正当性を欠いた物理的な強制力。

goo辞書「暴力」より引用

 では国家による物理的な力の行使は暴力にはあたらないのか。

一般に、政治の世界においては、正当性と合法性を欠いた物理的強制力を暴力と称している。これに対して、正当性と合法性をもった物理的強制力は実力(force)といわれるが、直接的で物理的な力の行使という点において、暴力も実力も実質は同じである。

コトバンク「暴力」谷藤悦史より引用

 上記では暴力か否かを分ける基準は正当性合法性であるとされる。歴史上国家の統治者が変わることで以前の統治者が犯罪者として吊るされるケースは枚挙にいとまがない。想像しやすいところで言うと、第二次世界大戦後のナチや日本などが挙げられるだろう。国が変われば、あるいは時代が変われば正当性合法性などといった基準は当然変わる。そもそも最も強い力を持つ者が「暴力か否か」の切り分けをしているのだから、ここで論じるのは極めて意味のない行為であろう。

 今回はそんな境目が不鮮明でいて、人類史上全ての権力者が持っていたについて、少し変わった方向から考察してみようと思う。

国家の体制維持のための究極的手段

(ココからはコラムっぽく)
 まず、暴力は古来からある究極にして最大の力であることは紛れもない事実です。権力の土台を成すのは結局のところ暴力であって、他国からの侵攻を防ぐためには軍事力が必要であり、国内勢力に対しては警察がそれらを行使します。

(余談ですが、憲法9条改正を反対している人たちは本当にただの条文が外国勢力からの暴力に対して有効だと思っているんでしょうか。)

すみません。戻ります。
 どの国も優先的に資源を割くのが軍事・国防です。軍事・国防は国の仲間や領土を守るために”他国民を殺す”という行為に法規で正当性を持たせただけに過ぎないので、基本的には暴力と変わりません。
 そんな暴力aka軍事には破壊的な面だけでなく創造的な面があるということを説明していきたいと思います。

現代社会の基盤と近代技術の発展

 私たちは現在、人類史上最も「衣食住」に困らない社会が多く存在する時代に生きています。これらは全て先人たちの争いによって生み出された成果です。以下では軍事技術が民間利用され、僕たちの生活に浸透している製品をいくつか紹介していきます。

缶詰…現代で最も有効な長期保存技術の一つです。これはナポレオンが遠征時の兵士の保存食として考案したものだとされています。

・電子レンジ…1940年代に軍事用のレーダーの開発中に偶然発見されたとされる技術で、現代では各家庭に1台はあるほど普及率の高い製品ですね。

トレンチコート…第1次世界大戦時のイギリス軍の寒冷地用の軍服として開発された。現代では我々日本人もファッションとして着用していますね。

 などなど挙げればきりはないのですが、歴史的に見てもスピンオフ(軍事技術の民間利用)が圧倒的に多いことは明らかです。
 他ににもこういった製品だけでなく、現代情報社会の基盤となっているインターネットGPSといった情報通信技術、資本主義を支えるエネルギー源である原子力発電、現在では経済の基盤と化した大量生産・消費社会の仕組みなどもこれらも全てもとは軍事技術開発で得られた人類の叡智の結晶なのです。

 例えば原子力発電は第2次世界大戦後の冷戦下の軍拡競争で原爆用プルトニウムを大量に生産することを目的として作られ、発電は生産コストを低下させるための副産物的な働きでした。それが現在では発電がメインのエネルギー源として世界に広まっています。

 次に大量生産・消費社会についてです。今これを読んでいるあなたの周りにある製品のほとんどは大量生産品ではないでしょうか。周りを見て確かめてみてください。大量生産が可能になったのは人類史で見るとごく最近の話なのです。1900年以降のフォードシステムアメリカンシステムといった言葉を聞いたことある人も少なくないと思います。このフォードシステムの特徴としては、製品の標準化部品の規格化と互換性作業の連続性が挙げられます。まぁ、難しく言っていますが要するに部品の形を全部同じにしたら生産効率爆上がりしたって話です。
 これらアメリカンシステムの起源となったのが18世紀フランス軍合理主義的発想です。もともとこの時代の武器は熟練工が1つ1つ手作りをしていました。このため戦場で銃火器が壊れた際に熟練工でしか治せないし、生産量も少なかったのです。そこでフランス軍は部品を標準化すれば生産が容易になり、戦場での故障にも対応できると考えました。ですが当時の民間企業ではこの技術を確立するまでのコストが高すぎて実用化はされませんでした。その後1850年代にアメリカが採算度返しで巨額の軍事費を投資して完全互換性のライフルの大量生産を成功させました。
 採算度返しの投資ができるのは軍事ならではの特殊性と言えますよね。

 他にも、イギリスで起きた産業革命が繊維産業から始まったことや、重化学工業(石油化学)が発展したことだって軍服生産が大きく関係しています。

まとめとタイトル回収

 暴力と聞くとただただ傷付けるだけの力破壊といった言葉を連想しがちですが、実際は人類の技術史を振り返るとその暴力となってモノや仕組みを作り、社会を発展させてきました。本稿ではこれを「暴力由来の技術革新」と名付けましょう。
 そしてこれら「暴力由来の技術革新」が私たちの生活の土台となっています。私たちが便利な世の中で経済活動を営めているのはこの「暴力」という破壊的な行為が根底を成しているからです。
 また、暴力は最大の自衛手段です。国際社会で影響力を持つ国のその”影響力”とは言ってしまえばどれだけ大きな破壊手段を有しているかです。
 守るためにも、発展のためにも、野蛮ではない平和で理性的な世界を作るためにも、暴力が必要です。単に脳死で「暴力は排除すべき行為」と思い込むのではなく、多面的に見ていく必要があります。これを読んだら、少しでも”平和”とはどうできているのかについて考えてみてほしいです。

 ここまでの説明で「技術革新の多くが暴力由来で起きている」ということは納得できたと思います。また、暴力は単に傷付け・壊すという「破壊的側面」だけでなく上記のような「創造的側面」も持ち合わせているということが理解できたと思います。
 まぁ、これを知ったから「だから?」って思う人もいますよね。でも僕は大学に入ってから「面白いな」と思った事の一つにコレが含まれます。

 

今後のnote

 今回のnoteは少し歴史の授業っぽくて退屈したかもしれませんが、今回作成にあたって「暴力」には二面性があり、後者は破壊とは真逆の性質を持つということをどう説明したら伝わりやすいかを僕なりに考えてみた結果、こんな長くて退屈な文章を作り上げてしまいました。
 これは私の持論なのですが、人々は根拠ある事実の羅列よりも根拠なき熱弁を支持する傾向にあると思います。当たり前ですが後者のほうが書いてて楽です。なので今回の”暴力の創造性”は最終的に言いたいことは主観マシマシのただの”気付き”に過ぎませんが、これに正当性を持たせるために史実で裏付けをした形になってしまいました。
 僕がnoteを作る理由には「読んでいる誰かを楽しませたい」、「喜ばせたい」という気持ちがあります。それと同時に「自分の頭の中を人に見せて気持ち良くなりたい」という感情も混在しています。
 僕は基本的には知識欲が強いと思います。そしてその知識””にまかせて貪った大学や本や論文で得た知識で「ほぇ~~~頭きんもちぃ~~」ってなる感覚を皆さんにもお届けできたらなと思います。
 

まだまだ文章構成もめちゃめちゃだし、言いたいことの何割かしか書けていないですが、よかったらまた読みにきてね☆



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