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名人は心を動かすが、「並」の先生は期待をする。

昔の学校もののドラマを見ていると、よく教師役の方が
みんなの前で話をするとみんなが感化されて、
やる気になるシーンがありますね。
ぼくも一視聴者としてそれは大好きなのですが
実際のところそれが現場でどのくらいあるかというと・・・

やっぱりドラマのようにはいきません。
それはやはり子どもにも好みはあって
これだけ多様なものを選べる時代では
なかなかみんなのやりたいことは合致しません。
でもまれにすごい名人がいて教師の一言で集団が変わることはあります。
高校野球の監督や吹奏楽部の顧問の先生とか
よくメディアに出てくる人は本当にすごいし
たぶん紹介されてはいないけど教室でも
そんな方はいるのだと思います。

ただみんながそうならないといけないかと言うと
それはそれで違うような気がしています。
生物の進化は弱肉強食ではなく適者生存です。
つまり集団が一丸になって取り組んだとしても
かなわないで終わることもあるし
仮に成功を収めたとしても将来的な社会の変化で
その努力や取り組みが全く方向性の違う役に立たないものに
なる可能性を秘めているからです。

だからみんな名人になる必要はなくて
「並」の先生も必要だと私は思います。
「並」の先生は子ども達になって欲しい姿を伝えます。
そしてきっとこうするとその姿になれると思うし
みんながなることを期待してるって感じで関わります。
こうすることで子ども達が知恵を絞ったり、何をすべきか考えます。
そしてゴールは達成するのですがそこまでの道のりが
何通りもできたりします。

一見どちらも目標に向かって子どもや生徒を変えているという点では
同じなのですが、1点大きく違うのが
主体は誰にあるのかという点です。
名人がみんなを感化させる場合は主体は指導者です。
でも「並」の先生が期待する場合は主体は指導される側です。

近年の指導要領に代表されるようにいろいろな指導書に
主体的なとか協働的なという文言がよく出てくる昨今では
期待して、意思決定をする子どもに任せるのはある程度
認められるべきことになりました。
だから、胸を張ってみんなに「期待しているよ。」って任せていいのです。
また任すことには、特別な名人芸はいりません。
ただし、必ず何らかのいい点の評価をする必要があるので
そこは気をつけたいところです。

最後に念のため、名人の心を動かす関わり方を否定してはいけません。
なかなか再現できないけど、この技術がなければ
多くの時間を試行錯誤に使わねばならず、カリキュラムを遂行する上で
名人のような短時間で子どもにやるべきことを伝えて
成果を出させるのも必要だからです。

「並」の教師で長いことやっていると、どこかで
周りの見え方が変わる日が来ます。
その時もしかしたら名人技が使えるかもしれないので
「並」の教師を繰り返す中で名人技ができるようになる
(そんな話もいつか書きたい)ので
共存しながらできるようにやっていきましょう。



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