上手な波の先生は生徒のすることを容認する。
一昔前だったらみんなが同じことを行って
全員が目標達成することを望む 教育が多かったように思います。
そのために教師が子供たちにいかに上手に技術を伝えるのか
というのが検討され続けてきた時代があったように思います。
私もそんな時代を過ごしてきた一人です。
しかしながら現在それは暗黙の了解的に
なくなってきてると思います。
実際授業のスタイルも子どもが主体的に
学習する方を重視されるようになったので
昔のように教師主導で全員「させる」というのが
あまりされなくなったように思います。
そういう事情もあってか上手な「並」の先生は
言葉にこそされませんが 、だいぶん生徒のすることを
認めておられます。
ただし 表面的には賛成しないケースも多く見られるので
あまり目立ちません。
そもそもこの辺は今、転換期らしく声を大きくしてやる人が
少ないのと暗黙的にやられてるので
なかなか理解しづらいみたいなので
今日はそのことをまとめてみたいと思います。
子どもが病気以外で休むことを容認している
上手な「並」の先生の多くが子ども達が欠席する理由について
理解があるように思います。
「病気以外で休むなんて もってのほか」と過去の先生なら
言ってきたことですし、 管理職や教育委員会など書類上でしか
判断できない方たちだと、現在でもこの辺が
理解できてないと思います。
そのため上手な「並」の先生はみんなの前では
「困った・・・どうしたらいいかな。」と
困った感じでされてるのですが
一方で自分が年休を取るような感覚で
子どもが休むことを理解して「自信をもって」
認めておられるように思います。
最近の子どもは昔に比べると、評価の数字がはっきり出るように
なったし、PDCAサイクルの登場によって
計画的に成長していくことが求められるようになって
自分のペースで・・・というわけにはいかない
なかなか厳しい世界に身を置いています。
また社会的に学校の統廃合が進んで
バス通学をしなければいけないケースや
それに伴って ずいぶん 早起きをしたり周りに気を使って
登校するようなケースがありますし、
帰りも習い事や家庭の事情からまっすぐ家に帰れずに
外で時間を使ってるケースなどがあります。
これらのことを総合して考えると全員が全員
その習慣に乗っかって学校で大活躍できるかと言われたら
そうではないと思います。
しっかり 自分のペースを維持するために
仮に体調が悪くなくても気持ちが乗らない時は
休むこともあるのではないでしょうか?
その辺を踏まえて、子供たちのことを守るために
上手な「並」の先生は学校で過ごしておられると思います。
容認している先生は声かけも変わってくる
なぜそのように言うかというと 声かけが違うからです。
おそらく 病気しか休養は認めないという先生であれば
次に学校で出会った時に子どもに「元気になったかね。」
っていうような 聞き方をすると思います。
しかし容認できる先生はおそらく「今日は調子はどうだい」
っていう 聞き方をすると思います。
過去のことはいい、今日学校に来てくれたんだったらそれでいい、
今日の気持ちはどうなんだっていうところだけ気にして
あとは子供たちの主体性に任せる。
今の社会に 理にかなっているやり方だと私は思います。
他にもたくさんの場面で昔に比べ
子どものことを容認されている先生がいるように思います。
ただし、 ここではっきりさせておきたいのですが
何でもかんでも子ども任せにするのと容認するのは違います。
上手な「並」の先生が上手な所以は
名人のように先生の言葉だけでは
確かに子ども達は変わらないのですが、
関わり方や課題の与え方 声のかけ方や約束する内容が
子どもたちの納得のいくものであるということです。
子どもたちも自分が良くなろうとする気持ちがない子はいません。
ただそこに差があったり、何らかの事情でむかえなかったりするだけです。
だからそこを理解して先生が子どもが納得いく範囲で
何か 伸びるような関わりをする。
そのため子どもたちが自分たちもやらなければ
というような主体的な意欲が出ます。
昔の先生のように義務にしてしまえば
こういう気持ちにはならなくて
とりあえず 約束を果たさなければいけないという
気持ちになってしまうし
逆に何でも子供 任せにしてしまうと
今度は子どもたちの中で 条件の中で伸びようとする気持ちがなくなり
自分本位でわがままな成長をしてしまうように思います。
現代の学校ではこの辺のことも踏まえて
子どもたちに関わっていけたら良い先生になれるかと思います。
名人も必ずこの道を通ったはずです。
ぜひ皆さんもいろいろ試してみてください。
このお話はもう少しお話したいことがあるんで
しばらくシリーズを続けていこうと思います。