今日も我が家は「スゥイング・JAZZ・オーケストラ」カウント・ベイシー編
皆様「おはこんばんちは」
鈴丸 カエル🐸です。
12月に入ってしまった。
早い💦本当に早い。
でも、ここまで生きてこられた💦
なんか?言い方がちょっとと思いますがでも、ふと明日、何かあったら?と本当に思うこのごろなのです。
あと少しで23年が終わる頑張ります。
毎回脱線して書きたい事を書いております。
さてはて、またまた「今日も我が家は、彼とジュリーと沢田研二」〜の続きです。
いわゆるバンドを組んでいた主人はよくコンサートに連れて行ってくれた。
しかも仕事でもビックバンドに所属していたので今までJAZZのライブも多く様々でした。
その中でも、おそらく初めて行ったコンサートはビッグ・バンドであったと思われるのです。
しかも東京だった、この頃になると親も何となく付き合いを見てみぬ様な感じで完全に許したわけでは無いがというスタンスになっていた。
ビッグ・バンドを初めて行ったのは、母に連れられて行った、グレン・ミラーオーケストラで、おそらく小学生であった私でした。
何故?グレン・ミラーだったのでしょう
今となっては聞くことも出来ない。
宇都宮では定番のその当時は一番大きな会館でした。
もちろん、既にグレン・ミラー本人がいるわけではありませんでした。
でも、イン・ザ・ムード、茶色い小瓶,真珠の首飾り、ムーン・ライト・セレナーデはやはり聴くと良い曲で生演奏の迫力があって感動したのでした。
最初は乗り気では無かったが音の心地よさにふわっといい気分になっておりました。
私はテレビっ子だった為、白黒のミュージカルなど好んで観ておりました。
なので昔のミュージカルサウンドやジャズは知らず、知らずのうちに記憶に残っているのです。
グレン・ミラー 1904〜1944
アメリカのJAZZミュージシャン、トロンボーン奏者
「カウント・ベイシービッグ・バンド」
初めて聞く名前でした。
彼を初めて見た時、私の第一印象ですが、「カメです。像ガメ」です。
そして、バンド内での 女房役のギター奏者であるフレディ・グリーンは主人の尊敬する存在・・・
でも、私にはそれがどう意味なのか分からなかった。
ところが、彼がステージに上がるとその風貌はベイシーより「像ガメ」なのでした。
動きが2人とも全てがスローなのでした。
確か楽団達より一番遅くに登場するのがフレディ・グリーンだったと思うのです。
そして彼の演奏なくしてはベイシーのあのピアノの間にしっくりピッタリくる音は無いと確信しているのです。
それは、生音なのに彼の演奏は広く響いて聞こえている事に驚愕していたのです。
正に出会うべくして出会った二人であると思いました。
アドリブも弾くことなく、ただひたすらにリズムを刻んで意外にアップテンポの曲が多いベイシーの曲、それに合わせてフレディのギターの刻む音が聞こえてスローな彼らに信じられない気持ちだった。
アンプを通していない事を確認した。
ビックバンドにかき消されていないことが驚異なのだ。
それだけ特殊に聞こえる音でこれは観に行かないと分からない事だと思います。
そして、ビックバンドにあろう事か、生ギターで刻むギタリストはフレディが初めてでした。
「どんなにピッチが正確でしっかりしているか信じられないよ」と主人は言った。
感激して半ば幻想でも観ているかのようである。
ビッグバンドで生ギターを観たのは最初で最後だった。
とにかくカウント・ベイシーオーケストラは、爆発するかのような管楽器の軍団そして一気に静かになりベイシーのピアノとフレディのギターがクローズアップする場面とで、強弱の激しい曲が乱舞するのです。
観客は全員ベイシーサウンドに魅了されてしまうのです。
私は、3回リアルベイシー・ビッグ・バンドに行きました。
一番最初は、1978年でした。
次に1980年、そして1982年でした。
しかも、宇都宮で見られているんです。
凄くないですか?
あの時期、ジャズが身近に感じることができて幸せでした。
これから、少し紹介していけると思います。
でも、正直な話し私は余り興味が無かったのが残念💧
だって若かったから・・・・・