鈴丸カエル

1960年生まれ、高度経済成長、核家族の中一人娘として成長し結婚、出産、子育てやっとの…

鈴丸カエル

1960年生まれ、高度経済成長、核家族の中一人娘として成長し結婚、出産、子育てやっとの思いで親を見送り、人生色々、山あり谷あり経験と感動を味わってまいりました。 私が生まれてから今までの事、そしてこれからも「今日も我が家は」とその時感じたさまざまな出来事を綴ってまいります。

最近の記事

今日も我が家は「初めての救急車,そして私の入院」

「おはこんばんちは」 鈴丸 カエル🐸です。 ハイ💦私、救急車に乗って入院しておりました。 三峰神社さんへ行ってすぐ、朝方それまで普通、たぶん普通に過ごしていたのです。 「あぁ、そろそろハイビスカスやブーゲンビリアを家の中に入れなければ・・・」とボーっと考えておりました。 10月になっても真夏のような日々に「いつまで暑いのだろう?」と思っていたのです。 やっと主人も仕事に行ったし、準備するかと作業服に着替えようとした時、突然の寒気が・・・ 「ん?何か変な感じ・・・」

    • 今日も我が家は「三峰神社」

      「おはこんばんちは」鈴丸カエル🐸です。 久しぶりの投稿となりました。 実は、先月、9月の最後の日曜日に家族で三峰神社へ行って参りました。 今年の3月に娘が一人で三峰神社参拝をして良かったと、ちょっと不調が続いておりました主人の鶴の一声で急遽行く事になり私はちょっと不安だったのでした。 単に長距離だけじゃ無い神社特有のの選ばれる事への不安。 予定を立ててもなかなか思ったように行けなくさせられしまうよく聞く話し、我が家でも伊勢神宮には予定通りに行きませんでした。 しか

      • 今日も我が家は「ガブちゃん、21歳」

        「おはこんばんちは」 鈴丸 カエル🐸です。 9月も半ばになるというのに・・・ 一体この毎日暑い日が続きますがどうなってしまうの?って感じです。 「暑さ寒さも彼岸まで。」なのでしょうか?昔の人の言う通りになるかしら? 実は・・・21年間、共に暮らし連れ添って来てくれたニャモニーのガブさんが 12日の木曜日の午後6時頃に虹の橋を渡って行きました。 私はこの時がいつかは来るのだからと何年も前から恐怖だったのです。 何匹も何十匹というニャモニー達を見送ってまいりました。

        • 今日も我が家は「笠間きらら館」

          「おはこんばんちは」 鈴丸 カエル🐸です。 皆様、いかがお過ごしでしょうか? まだまだ毎日暑いですね・・・ どうぞご自愛くださいませ。 先々月、笠間きらら館さんにて参加してまいりましたワークショップ 野村 晃子先生の絵付け体験の作品が焼き上がったと連絡を頂き先日きらら館さんに娘と取りに行って参りました。 行ったついでに笠間稲荷神社に寄りたいと娘が言うので・・・ まだまだグズグズ台風🌀がいたため早めに帰る予定だったのでお昼前に参拝しました。 何回もパラパラと降ってく

        今日も我が家は「初めての救急車,そして私の入院」

          今日も我が家は「爺いよ、舞い上がれ!」

          「おはこんばんちは」 鈴丸 カエル🐸です。 9月になりました、早いですね。 皆様、台風🌀はいかがですか?グスグズ台風はもうバイバイ早く行って欲しいです。 年々夏が沸騰化しつつあり私はクーラーが無いと生きていけない💦なので停電が一番困ります・・・皆様の所はいかがですか? 皆様、どうぞご無事でお過ごしくださいませ。 さて、何やら主人が帰って落ち着くと「おーい!ジュリー見るぞー!」と騒がしい。 BS 松竹東急にてここしばらくジュリーの特集が組まれていたのだそう、何処から

          今日も我が家は「爺いよ、舞い上がれ!」

          今日も我が家は「シーサー作り」

          「おはこんばんちは」でございます。 鈴丸 カエル🐸です。 パリ・オリンピックも終わってしまいましたね。 大きな地震もあったり南海トラフ地震警戒情報が発令されたり、しかも、このお盆様の最中に2つの台風🌀が通過して行きました。 皆様、いかがお過ごしでしょうか? 私は毎日暑いのでひたすら瞑想の様な日々を過ごしております。 というと聞こえはいいのですが正直グダグダしておりました。 「暑くて何もできましぇ〜ん!」 でも8月に入り今までを客観的に見てみると地震をきっかけに、

          今日も我が家は「シーサー作り」

          今日も我が家は「ワークショップ」

          「おはこんばんちは」 鈴丸 カエル🐸です。 8月に入りました!毎日、毎日暑いですね〜💦がもう挨拶言葉になってます。 皆様〜、いかがお過ごしでしょうか? 私はこの「note」創作大賞2024の投稿に勤しんでまいりました。 「お疲れ様、私。」とモードを切り替えて久々投稿になります。 パリ・オリンピックも始まりました。 しかし、日本は脅威的な暑さで命の危機感満載です。 昔はどんなだった? 確かに夏は暑かったけど・・・暑くても28度くらいで、5・6日、30度を越える日

          今日も我が家は「ワークショップ」

          私と日本の神様no3

          「今日も我が家は」 お伊勢参り 2013年 第62回 式年遷宮が行われた。 母を見送り、父をやっとの思いで見送る事が出来た中で行われた式年遷宮。 私には縁が無い事と思われておりましたがその年の暮れ近くで友人が旅行案内を手に私の目の前で申し込みをしていた。 「お伊勢参りと菜花の里イルミネーション」のツアーだった。 概要を聞くと私も一緒にどう?と誘ってくれたのでした。 そしてそのチラシをくれたのでした。 私も色々あった。 だから新年は、来年こそ良い年にしたいと・

          私と日本の神様no3

          私と日本の神様no2

          「今日も我が家は」 鷲子山上神社 とりのこさんじょう神社 こちらは茨城県 常陸大宮町と栃木県 那須那珂川町との県境にある神社で本当に山上にあるのです。 別名フクロウ神社と呼ばれていてよく宝くじが当たると有名らしいのですがある時から私はこの神社が好きになり行くようになりました。 最初はやはり宝くじが当たると有名らしいと言う気持ちが強かったのです。 でも元々、フクロウが好きと言うのもあり那須烏山に抜けて行く道が心地よくて帰りに幾つか寄れる道の駅が魅力的だったのです。

          私と日本の神様no2

          私と日本の神様no1

          「今日も我が家は」 宇都宮 二荒山神社 (ふたあらさん神社) どちらかと言えば私は幼い頃より、神様という存在を信じていた訳ではありませんでした。 ただ、畏敬への思いというか、自然の中に宿る自然そのものに対する森羅万象、自然信仰の様な考え方みたいのは元々あったように思うのです。 なので、成長過程の中でであうキリスト教会への憧れはありました。 仏教 =  御葬式 のイメージが強くて余り関心を持たなかったし、世界の中でキリスト教だけでなく同じ宗教の中で分裂し同じ神様を信仰

          私と日本の神様no1

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)no8

          「今日も我が家は」 時の深淵 やっとその場から離れられた私は娘に「あそこのベンチに居るから、私○○○ (仙台にいる義弟の娘)に電話して来るから!」と少し離れたところで電話をしたのでした。 ちょうど見計らったように義妹から携帯に電話が入っていた・・・ 私は無視することにした。 今、出ることは出来ない、でも、きっと彼女は何か感じていると確信したのでした。 結婚した義弟の娘とその夫は防衛医大を卒業後,仙台の夫は航空自衛隊勤務,彼女は陸上自衛隊勤務で先日も東京にもどり義妹

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)no8

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)no7

          「今日も我が家は」 「南六号三丁目」 次の日、9月27日は主人も恒例の月末がお休みであのハガキの場所へ行ってみようという事になったのでした。 娘も学校を休んで参戦してくれると言った。 息子は先日、仕事を無理矢理休んだので今回はやめておくと言った。 「ママは今回は家で休んでな!」と言われたが居ても落ち着いていられないと思い、足手まといにならないようにするからと行く事に決めているのでした。 義妹からは、あの高額な探偵を雇ったと連絡があった一日5万とか6万と言っていたよ

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)no7

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)no6

          「今日も我が家は」 江ノ島へ ファミレスを後にするとまるでガソリンを入れたみたいに元気になった家族だった。 時間は9時を周りあたりは漆黒の闇で見渡しても波の音だけが聞こえて不安になるのでした。 もう昼間のようにチェックして歩くことは危険と感じて目の前のシルエットが浮かぶ江ノ島を目指すことにするのでした。 細い道を奥まで入り階段の下まで来ると銀行、そして商店街の手前で邪魔にならない所へ駐車した私は運転席で待機するように言われた。 おそらくここは江ノ島神社の参道である

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)no6

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)no5

          「今日も我が家は」 義弟の失踪 宇都宮から東北道、首都高から油壺に向かって車を走らせる、この狭い空間に家族が4人が乗り合わせるのは義弟の長女娘の結婚式以来だね。と・・・ いつも、家族揃うといつも独特なパワーが宿るような気がしているのです。 以前にも主人がビンテージのギターでトラブルになりそうな時にも娘と息子がタッグを組み危機を脱した事があるのです。 私は昨夜の夕食の時を思い出していた。 気が付かなかったが娘も息子も今日の為に娘は義弟の長女に、息子は義弟の長男に寄り

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)no5

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)no4

          「今日も我が家は」 スピリチュアルな人 義弟の失踪で我が家は緊急会議が開かれるのでした。 大宮に居る娘も学校を休み帰って来てくれたのでした。 彼女は帰ってくるなり私に「Pちゃんに連絡した?」と聞くのでした。 「いや、して無いけど・・・」と私。 「分かった!私、連絡するから」と娘。 そして主人が帰ってくると明日から月末の休みになるからと言うのでした。 私は久々に揃う家族の夕飯の準備に入るとそれぞれがどこかに連絡をとり始めるために部屋に入るのでした。 そうだ、そ

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)no4

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)no3

          「今日も我が家は」 延命措置 私もいい加減、子離れしなければいけないと感じておりました。 何時も子供達がいてくれている環境を当たり前にしてはいけないと思うのでした。 この頃の父はやっと居心地の良い施設に巡り合うことが出来て、これから少しでも快適に過ごしていけると思っていた矢先の事、肝臓癌が見つかるのでした。 施設の皆さんに親切されて喜んでいた父 担当して下さった医師と検査の結果を見ながら手術はしない事にして施設の方も緩和ケアと看取りを申し出てくれたのでした。 (この

          Acupuncturist・Lady(鍼灸師・娘)no3