なりたい自分
こんばんは。ブルーなMondayの夜にひょっこりと現れたアラフォーです。
私は暫く、投稿をお休みしていた。
自分が書きたいことが定まっていなかったからだ。
書かなくてはならない、ではなく、書きたいから書く、と思えるようになるまで、自然に任せようと思っていた。
そんな時、なりたい自分、のお題があったので、書いてみたいなぁ、と思った。
私は、うつ病、強迫性障害、パニック障害を併せ持つ、精神障害者だ。
10年以上、出口の見えない病との闘いに、もがき、苦しんできた。
然し、最近、カウンセリングを受けて、自分の生き方を、改めて考えさせられた。
あなたが「私らしく生きること」が大事だ、と、カウンセラーさんから言われた時、自分を繋いでいた鎖から、解き放たれた気がした。
私は、正義感が強く、判断基準は白か黒。
生前、母には、グレーもあるのだよ、と、何度も注意をされていた。
然し、それが中々分からず、他者にも、自分自身にも、段々と厳しさが増し、うつ病と強迫性障害、パニック障害を発症することになった。
当時は、自分の生き方の選択が、正しいか否か、であり、自分らしく生きる、という発想は、逃げにしか思えなかった。正しくも否でもない、曖昧な生きる道を、選択出来なかった。
カウンセラーさんから、私らしく生きる、ということを言われて、自分を縛っていた自分から、自由になって良いんだ、と、心から思えた。
私が私らしく生きること、私のなりたい自分って、何だろう?
先ずは、私の好きなことを考えてみた。
私は、文を書くのが好きだ。
中学生の時に、税金に関する作文が、夏休みか何かの課題で出された。
その時、税金に関して、主に消費税について、けちょんけちょんに、ボロクソに書いた。
それはもう、恨み辛みを込めて…。
今思うと、国から存在を消されなくて良かったと思う。
作文を提出して数日後、担任の先生から廊下に呼び出された。
呼び出しの内容は、
私の作文があまりにも良かったので、県主催のコンテスト(と言っていたかな?)に出し、それが、県の発行している刊行物に載ったから、その刊行物をあげる、
と言ったものだった。
私は、その時まで、自分が文を書くのが好きだということも、私の書く文の質が良いことも、気付いていなかった。
私って、文才があるのか?と思いつつも、自分でそれを認識するまでには至らなかった中学、高校時代。
中学では、生徒会に所属し、委員長を務めていたので、委員会の書類は手書きで書いていたが(当時は、一家に一台、パソコンなんて無かった)、書くのが好きだという認識は無かった。
私は書くことが好きなんだ!と自覚したのは、大学時代。
教授達の課題レポート攻撃の嵐の中、私にとって、レポートは苦ではなく、寧ろ、楽しいくらいだった。
大学卒業後は、教員になり、自分を主張するだけではなく、相手が理解しているかにも配慮をする必要があることを学んだ。
生徒が理解しないと、教えただけでは駄目なのだ、ということ、生徒が理解して初めて"教えた"が成立するのだ、ということを気付き、その後の私の文の書き方に、延いては、私の人生観にも大きな影響を与えた。
その後、教員を辞めて、一般職に転職してから、ずっと、人への説明の仕方や、報告書が分かりやすい、と褒められた。
それは、私が、説明する時や、文を書く上で、相手が理解して初めて伝えたことになる、ことの学びから、そのことに気をつけて、説明したり、書いたりしていたからだ。
書くことに於いて、私は、スピーチの様な、意見を述べる為の文を書くことも好きだが、歌の詩の様に、人を元気付ける文を書くことも好きだ。
私が、落ち込んでいる人に、言葉を掛けると、その人が、喜んだり、立ち直ったりしてくれた。
それは、メールで文章化したやり取りでも、同じだった。
また、歌を歌うことも好きだ。ただ、楽譜が読めない。
3年後は、作詞をして、それを歌にして、世界に発信出来る様になりたい。
精神病を患っていても、人生を切り拓くことは可能なのだと、証明したい。
今、病で苦しんでいる人にも、明るい光が差し込む日が必ず来るのだと、私の人生で証立てたい。
私は、小学6年生の時に、酷いいじめにあい、汚い、近寄るな、等と罵られ、嫌がらせも受けた。
社会人になっても、職場でいじめられ、姉からも家庭内暴力を受け、暴言を吐かれ、嫌がらせを受け、指を折られ、人生を終わらせたいと思ったことも、何度もあった。
唯一の支えだった両親が亡くなった時は、心底、後を追いたかった。
こんな私でも、誰かの希望の光になりたい。
3年後、私は、きっと、YouTubeで、歌を歌っているだろう。
下手くそで、聞くに耐えないものだと思うが、それでも、それが、私が私らしく生きること、なのだと思う。
10年後は、社会を変えたい!と奮い立ち、議員に立候補しているかもしれない。
それが、今の私が思い描く、私が私らしく生きる道、なのだ。