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日本保守思想の研究 8

1 第一次大戦後の軍縮

    大正政変後の政治は大正デモクラシーの時代である、但し大日本主義者も反撃をしている、米騒動の後は拡大勢力はソビエト成立に干渉するようにシベリア出兵など国内でも評判の悪い政策などうったが無駄であった。
しかも、第一次大戦後の各国の軍縮気運は日本も届いた。
 海軍の八八艦隊など到底当時の国力では建設出来ない軍拡などは当然政治にとっては邪魔で今風に云うと リストラ の対象になる
海軍軍縮条約は海軍御一家にとっては
深刻である、なにせ将来のポストが無くなるしいつ肩叩きが自分の身に起きかねない、ましては軍人として 闘えと 教えられそのことで 人生の半分位生きてきた彼等は 平和に生きるとは 真逆のことをする ある種屈辱である
このことは陸軍でも同じであり、軍縮 が彼等を影で政治的影響を使う原因になった。
そう大日本主義との結託である
大正デモクラシーが全く気に食わない大日本主義と時代に乗った小日本主義
大正時代は2つの保守思想が何とか釣り合いをとりあった時代だった
そんな時の関東大震災である
話しはガラリと変わる
明治開闢から、ここまでの歴史は日本経済は拡大期であった。拡大経済は拡大主義を支える基盤になる。
だが、縮小期においては破綻する
この後は戦後の経済発展まで日本経済は縮小する、大日本主義がなんとかかんとか上手くいくのは経済が上手くいっているときで、縮小期の時はとんちんかんなことする。この後の中国侵略だが経済の失政の捌け口を中国侵略で誤魔化したが
既に中国にはアメリカやイギリスが権益を持っている、いずれ衝突するのは明らかである。
どう足掻いても勝てぬ戦をするということになるのである、国力は何千倍もする国とであるが臨戦状態を止められない、其れは山縣が生きていない教えてくれはしない、いやこの余りにも酷い思考停止は日本保守思想に原理原則がないからなのだ、だから、新しい状態に対処出来ない、一方小日本主義は後に日本国憲法の創記者になる幣原喜重郎などが協調外交を唱え始めるのだ
しかも、関東大震災で日本は金融が震災モラトリアムで危険な状態が終戦まで続く、これと大恐慌の後のブロック経済が経済を縮小させた。ここで拡大主義をとって大日本帝国が破滅するがやはり拡大主義しか考えられなかったのだった 臣民も時代も大日本主義を支持した。
軍部と結託した大日本主義は議会から小日本主義を駆逐する、聖戦体制の確立まで続く日本の思想的悲劇が始めたのだ
226事件までの時代、それは大元帥天皇でさえ屈服させる本末転倒の思想が暴走する時代である。

つぎは 日本共産党の誕生 保守思想の永久のライバルを 発表します 
それまで!待ってね


 


 



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