【ショートショート】感情的な珈琲
父は滅多に珈琲を飲まなかった。なぜかと言うと手軽に飲めない、特別な珈琲が好きでそれしか飲まなかったから。どこで入手していたかも分からない、
それは「感情的な珈琲」
その珈琲は珈琲豆自体に感情があり、その感情に合わせて多様な味になる。人に飲まれるまでの扱いによって味が変わるらしい。保管場所が埃だらけで湿気の多い場所だと辛くなる。縁が欠けた適当なマグカップで飲むと酸っぱくなる。反対に気密性の高い容器にきちんと保管し、大事に扱うと甘い味になるらしい。砂糖要らず、ダイエットにぴったりだ、と思ったが、あまりにも甘やかすと甘過ぎてカップ1杯も飲めない、と父が言っていた。
父の飲み方はこうだ。気密性のある清潔な容器に珈琲豆を保存。ゆっくりとコーヒーミルで豆を挽く。できる限り細かく挽くのがいいらしい。綺麗に調えられたテーブル、陶器製のマグカップに入れてゆっくりと味わう。丁寧に処理して素敵にテーブルセットした環境で飲むと珈琲も機嫌が良くなって美味しくなるんだよ。花や香水を思わせる複雑で華やかな香り。強い苦味と上品で濃厚な甘味が混じり合う。後味は独特な酸味を感じるがすっきりとして爽やか。どんな高級店の菓子にも負けない、味わったことがないような夢のような甘い飲み物。
それが父が大好きな珈琲の味だった。私は珈琲の味を嬉しそうに話す父の笑った顔が好きだった。
父が亡くなって1年が経った。段々と父の死を受け入れるようになった。ふとキッチン棚を見上げる。父が大事に珈琲豆を入れていた琺瑯性の瓶が目に入った。蓋を開けると濃厚で新鮮な豆の香りが立ち上がる。豆が少し残っている。
もう自分が飲みきって終わりにしてしまおう。踏ん切り継がず、ずるずる先延ばしにしていた遺品整理もしよう。不要なものは処分する。
父がしていたように、綺麗なテーブルクロスを敷いて、棚の奥底に眠っていた父お気に入りのカップを引っ張り出す。父の死後一度も使われていなかったコーヒーミルで豆を急がず丁寧にゆっくりと挽く。蒸らす。飲む。
きっと甘いんだろう。
しかし、舌で感じる味は父が話していたものとは全く違っていた。香りは全くしない。薄くて、しょっぱい味がする。そのくせ、その妙なしょっぱさが飲み込んだ後もぺっとりと舌に残り続ける。楽しくも心地よくもない、不快な味。
どうしてだろう。父が飲んでいた時のように準備した。最近の若者は快適で居心地のいい職場にいると自分が成長できないと感じて不安になると聞いたことがある。この珈琲にもそんな感情が芽生えたのだろうか?
それとももっと違う感情だろうか。
珈琲はすっかり冷めてしまった。これから何を足しても不快な塩気が勝つだけで全く美味しくならないだろう。遺品整理はまたの機会にすることにした。
(了)