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8/7 『十一人の賊軍』を読んだ

たまたま並行して読んでいた『最強の毒』と、まあまあ時代が近い。あちらからおよそ40年後くらいで、すっかり幕末動乱の真っ只中にあるのだなあと考えると、また読み味も変わってきそう。
今秋公開される映画の小説版ということで、原作がある作品なんだけど、平民が棒きれで刀持つ侍を叩きのめしたりとか、登場人物たちが他の冲方作品のあのキャラこのキャラにどことなく通ずるところがあるような気がするのは、原作を冲方テイストで煮しめたということなのか、通ずるからこそ小説版が冲方丁に委ねられたのか。これは映画を観て確かめるとしよう。
新政府軍の進撃に対し一丸となって迎え撃つのではなく、お上は最小限の犠牲で乗り切ってやり過ごす気で、入牢人たちはその最小限にカウントされている、というなかなかの詰みっぷり。牢人たちの持つ様々なスキルや奇抜な戦術で、戦力物量はるかに上回る新政府軍を滅多打ちにしてのけるのだが、痛快という感じは薄い。戦の描写が快の欠片もないほど痛ましいというのもあるが、そもそもが侍同士のつまらない小競り合いという認識が牢人たちの大半にあって、武士の世界の理なんてものにもまったく白い目を向けている。切腹によりことを進めようとしている様にも、さながら異教の奇習に向けるような視線。これが幕末、武士の世が終わりにさしかかってるってことを表しているのか。ただ、今にして思えば『剣樹抄』でも、武士の理のようなものと切支丹における殉教を鏡合わせの価値観として扱っていた節はある。武士の幕府に対する忠義と、切支丹の神に対する信仰。切支丹が追い払われて幾年月、幕末とはとうとう武士道が追い払われだした時代だったということなのか。
しかし切腹という文化というか、作法ってのはあれだな、忠義が前提となっている武家社会において唯一、「下の者が上の者に命を代償として責任を転嫁できる」システムであるのだな。下の者は腹を切り、心意気を見せる……という建前で背負っていた責任を免責され、どころか名誉まで得る。代わりに上の者はそれに関する沙汰の責を負う。その者が一件落着できる権力を持っていればまだ良いが、力の無い中間管理職であると悲惨で、さらに自分も腹を切って責任のバトンを投げ渡すか、どこかで無理して道理を歪めなければならない。そんな悲惨が積もり積もったがゆえの幕末だったのかな……なんて、時代を俯瞰するようなことばかり言ってしまったけれど、別にこれこれこういう理由で江戸幕府は終焉を迎えたとか、そういう話ではまったくない。
馴染みの薄い時代と戦場を舞台にした作品だから、映画はちゃんと楽しめるか少し心配だったが、史に名を残さずとも十分に立ったキャラクター、MVPガジェットたる「くそうず」のおかげで絵面も派手なものが期待できそう。またこの小説版は単に映画の内容をノベライズしたものではないとのことだから、その違いなども楽しめることだろう。面白かったし、面白そう。

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