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ボクが“生きる意味”に目覚めた理由〜今までずっと考えたことなかったのに、なぜかやる気が湧いてきた話


AIの急速な発展によりボクたちの生活は大きく変わってきました。そうした変化と共に「人間とは何か?」という普遍的な問いが浮かび上がってきます。この問いに「COCOPOIROOM」は、人間の本質に迫る独自の視点を持っています。AIが進化する中で、私たちが持つべき本当の価値とは何なのか。これからも探求し続けることが、COCOPOIROOMのメインテーマです。

■人間ってなんだっけ

こんにちは。セラピスト心月です。

AIが本格的にボクたちの生活にリンクして個人的にメチャ楽しみ!です。と同時にボクたちは

「じゃあ、人間ってなんだっけ?」
「ジンセイって一体なにをするの?」

と言う普遍的な問いを投げかけられているってことですよね。
実は、「COCOPOIROOM」のメインテーマってここなんです。

人生というゲームを楽しみ、どんな瞬間も余すことなく遊びつくしたい!という魂レベルの感覚。その歓びと躍動感をシェアすること、がボクの使命でもあるのです。

そのベースになっているのが

“人生は、楽しむために生まれてきた”

つまり、楽しむ権利は誰にでもあるということ。
それを追求してゆきたいって欲求に素直であること。


そんな魂の歓びに導かれてゆくみなさんの姿を見るのもボクの幸せのひとつです。

とはいえボクは、“人生は、楽しむために生まれてきた” という自覚を初めから持てたわけではありません。幼い頃からどこか虚しさや寂しさを抱えて、将来を不安がってばかりでした。

あることがきっかけで、“人生は、楽しむために生まれてきた” と腑に落ちたとき一瞬で視点が激変したんです。

それは「寂しさの正体」を知ったことでした。

今日はそんな実体験をシェアしたいと思います。

■ステージの世界ー忘れない日のこと

“人生は、楽しむために生まれてきた” 
について、ボク自身のお話をしましょう。

ボクが7年前にモデルの仕事をしたとき、
ほとんど何も知らないような状態からのスタートでした。

あの時のことを忘れもしません。
オシャレなヘアメイクと新作の衣装で着飾り、晴れやかな会場のスポットライトを浴びながらステージを歩く。

みんなの視線がボク一点に注がれる。
そこにあるのは、かつて経験したことのないような心の躍動感でした。

なぜならそこにあるのは、“自分という存在”だけ。

全ては自分次第、だと腑に落ちた瞬間でした。


■心の寂しさを解消するために本格的にモデル業を


その後、ファッションモデルではなく、作品モデルとして活動し始めると、自分自身の生きる意味や、「世界に何かを残したい」というボクなりの意味を見出すようになりました。

実は、それまでボクは、自分の人生についてまったく考えたことがなかったのです。

アーティストの作品モデル業をするようになって、やっと、「なぜ仕事をしているのか?」をはっきり自覚するようになりましたが、本当の初期は、もしかすると自分の心の虚しさを解消する何かをずっと求めていたのかもしれません。

それ以前のボクは、どこかいつも心の中に虚しさや寂しさを抱えて生きていました。

■寂しさの正体とは


それが、一体どこからくる寂しさだったのか・・・。

その時はよくわかりませんでしたが、
今改めて紐解くと、おそらく、未来や孤独への恐れと、他人への依存という文字が浮かび上がります。

「将来どうなるかわからない」
「他人と比べて虚しくなる」
「自分に対してプライドを持てない」
「いつも空虚な気持ち」

過去のボクは紆余曲折ではありましたが、不幸のどん底だったわけではありません。なのに、どこかいつも満たされない感覚が拭えませんでした。

思い返すと、その当時はフォーカスすべき今ここに必要な、「自分らしさ」がなかったからだったことに気がつきました。

「今ここ」に存在しないものばかり求めていると、人は寂しくなる


ここからはボクが自分なりに分析したことになります。

人は皆「今ここ」にはないものばかり生きる傾向にあります。

例えば、

「友達がもっと欲しい」
「理想的な仕事をしたい」
「面白いことはないかな」
「たくさんのメールやお誘いが欲しい」
「ドキドキワクワクすることはないかな」
「理想的な恋人が欲しい」

こうなると、もはや今にはフォーカスできていないことになるので、いつも目線は今ではなくなります。

今を生きていないということは、今の自分はダメ今の現状はダメ、という判断を自ら下しているということ。

つまり今を否定しているということ。

口先では「感謝している」とか「今を生きたい」とか言っていても、実はこころ、ここにあらず。

今がダメということは、ネガティブ、不満からスタートしているので、
いつまでたっても心の中はみたされるわけが、ありません。

たとえ1つのことが満たされたとしても、次、次、もっともっと!

足りない足りない足りない!!!

どんどん欲しくなるだけで、いつまでも心は、WANTWANT 今あるものに価値がないと考えているから、寂しいまま。


■現実は、自分の心の中を表しているとはどういうことか?


逆に今あるものに無我夢中にフォーカスしたらどうなるでしょうか?

目の前の大切なことに全力投球し、大切な人たちに愛を注げば寂しさはただちに消えます。

今ここにある時間にフォーカスし、自分ができる最大限にチャレンジすれば
寂しいとか虚しいという気持ちは一切、無くなります。

その証拠にボクは一生懸命仕事をしていて全然関係ない他のことや他人についてクヨクヨ考えることはあまりありません。

寂しい、虚しいというのは本当に誰か他の人に対しての寂しさでしょうか?
それとも、現状に満足できていない自分への寂しさでしょうか?

考えてみて。




当たり前の話ですが、友達も仲間も、彼氏もペットも、他者であり、決して自分ではありません。

なのに、あの子がもっとこうしてくれないから、私は寂しい。
ペットがいないから寂しい・・・。

という具合に、いつも寂しさ・虚しさの矛先が外部の要因にいきがちです。

ボクの持論ですが、寂しさの原因は「誰々が自分を認めてくれない」とか「誰々が自分に尽くしてくれない」とか、一見外部の要因ありきのことに見えるのですが実は違います。

本来は、他者にあるのではなく、自分の心の中を表しているだけ。

自己の中に生きる意味さえ見つけ、今に最善を尽くしていれば
そのような感情は大きな決別などイレギュラーな事態を除いて日常的には起こらないではないかと考えているんですね。

そして、自分が「たりない」と今、思っていることがあるとすれば
それは自分が他人に対してできていないことなのかもしれません。

例えば人から、愛されていないと思うなら、自分も人を、愛していないとか。

■嫌われてもいい、嫌われる覚悟を持つことは自立することでもある


同じモデル業界で活躍しているしているAさんと話していた時のこと。

彼女はショーモデルという特殊なジャンルをメインで活動しているからやっているからこそ、笑顔が大事だし、マイナスのエネルギーはそれに合わない。
だからスタージ立つときの自分を整えるために、どんなときでも余裕を持った気持ちで向かうのだそうです。

たとえ緊張する場面であっても、厳しい態度でスタッフに叱ったりすることは出来ないし、自分の仕事のスタイルには向いていないことに気がついたということを言っていました。

大きな舞台に立つモデルとして、プロフェッショナルな精神があるからこそ多くの方から好かれる必要性がある。あえてそういうスタイルをキープしていると。

ボクは、そんな彼女のプロ意識を素晴らしいことだと思いました。

一方ボクは、対面の仕事は余りないという、真逆なスタイルの仕事をしています。たまにはイベントに行ったりはしますが、黙々と現場で作品のモデルをすることが得意なタイプです。

集中して成り切ることを楽しんでいるし、作品モデルというジャンル自体が性に合っているので、常になにをしてもワクワクしています。

大勢の人に見られる緊張感よりも圧倒的に平日の方が楽しいもの。

けれども、おそらく多くの人と違う点は私は「嫌われる覚悟」を持って仕事しているということです。


ボクは、トップダウン型の活動は目指していなくて、むしろスタッフのレベルが高く、一人一人が精神的にもスキル的にも自立していて自走できる、でもサポートもしあえるようなチームのスタイルが理想的な活動だと考えています。

だから、ボクだけじゃなく、どんどん新いモデル活動をしたり、リーダーシップを発揮できるようなレベルの仲間をゆくゆくは、育てていきたいなと考えています。

やっぱり、その過程で厳しいことや言いたくないけれど言わなくてはならない側面もあるのは確かです。

でもね。ボクは、短期的な関係性であれば厳しいことはむしろ言わないかもしれません。仮に、すぐに関係性が終わると確信している相手に、いちいち厳しいことってむしろ言うエネルギーすら勿体無いと思うから。

だから、ボクは別に厳しいことを言って、嫌われてもいいとすら考えています。長期的な観点で物事を捉えているので、この瞬間たとえ、嫌われ役でも構わないんですね。

まあ、フリーランスでやっていこう!なんて考える人はだいたいそんなもんかなと。

ニコニコしていて周りからは「いい人だよね」と好かれていても、

本当は、人から嫌われるのを恐れていて
誰にも何も言えず、まわりの言いなりになり、
結果を残せない優柔不断なタイプはこれからの社会ではキツイです。


そう割り切ってからはかなり楽になった気もします。

もちろん、ボク自身もかつては誰かに好かれたいとか、みんなに注目されたい、っていう欲望がありました。

ある時気がついたのは、嫌われたからといってボクの元を去る人ならば、それまでの関係性だった、ということ。 それだけなんですね。


■本当に、正しいと思った道を突き進む


浅はかなその場限りの関係性に依存したいがために、思ってもいないことばかり言ったり、好かれるためだけの笑顔を振りまいたり、ゴマをすったりなどの違和感のある行動をすることをボクは望みません。

嫌われる勇気という本もありますが、そこに書いてある通り、
実は、嫌われる覚悟を持つということは、「誰から嫌われてもいい」とわざと他の人から嫌われるような喧嘩腰の言動をくりかえすということではないです。

他の人の目だけを気にした行動はしないこと。

他者の軸で生きるのではなく、自分の軸で生きる。

一本筋を通した言動をする


こういう生き方をしていると、道を踏み外すことはないですし、プラスのエネルギーで満ち溢れるようになりますよね。

そうなると、自分のエネルギーとは違う人は、勝手に衝突したり、あるいは離れていきます。

一見「嫌われた」ように見えますが、本当に嫌われているのではなく、単に波長が合わなくなっただけのこと。

■他者から嫌われるよりも怖いこと


はなんだかわかりますか?

それは自分の心に嘘をついて、自分が嫌いになることです。


たとえ誰かから裏切られたとしても、自分を信じてあげてほしい。

あなたは今、本当に、正しいと思った真っ当な道を
嘘ない心で突き進むことが出来ていますか?

嫌われる覚悟というのは、最大限、「今」にフォーカスして本当の意味で、心身ともに自立すること。ボクはそう定義しています。

前述した、プロフェッショナルな精神を持っているモデルさん、はきっと

「将来どうなるかわからない」
「他人と比べて虚しくなる」
「自分に対してプライドを持てない」
「いつも空虚な気持ち」

などという、他者から関心をもたれない「寂しい自分」とは無縁だったと思います。

自分に嘘をついてまで誰かから関心を持ってもらう生き方も洗濯していなかったでしょう。

もしかしたら彼女は、どこかの時点で克服したのかもしれません。

どちらにせよ、「嫌われる覚悟」を持って仕事している、成熟したひとでした。これはひとえに

“人生は、楽しむために生まれてきた”

という人間の根本的な望みを理解し、ここをベースにした自分自身を生きている証拠だと思います。


■ちょっとだけ考えてみる価値はある


さて、このページを読んでいるあなたは、今、いかがですか?

「人間ってなんだっけ?」
「ジンセイって一体なにをするの?」


楽しむ権利は誰にでもあるということ

それを追求してゆきたいという欲求に素直であること

自分存在の価値は、誰かの評価を貰わなくても、変わりなく素晴らしいものです

そして、そのことを実感を持つことが「人間的な成熟」です。

そのような自立した精神がベースにあってこそ、自分という人間を磨き、スキルの修練を重ね、ポテンシャルを開いて、個の欲求にしたがって生きる楽しみが育つのかもしれません。

そうやってボクたち人間は、人生という体感ゲームを楽しみ、どんな瞬間も余すことなく遊びつくしたいと魂レベルで感じているのでしょう。

「COCOPOIROOM」のメインテーマ

“人生は、楽しむために生まれてきた”  について、ちょっとだけ考える時間をご自身に与えてあげることは、やがて大きな価値に繋がってゆくとボクは本気で考えています。

ぜひ、取り組んでみてくださいね。


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