-Sence of wonder - 感覚派のあなたが繊細のまま生きるための五感ノート
■感覚という“生命のギフト”について
こんにちは、セラピスト心月です。
感覚派のみなさまお待たせしました。
“五感を通して自分を表現する”をテーマにコラムをお届けします。
読みすすめるうちに、デリケート過ぎて生きづらさを感じている人ほど《感覚のままでいい、もっと感じてもいい、それを表現してもいい》
と気がついていただけると思います。
このコラムの内容は、混沌とした時代を生きぬくために大切な「感じる」を磨くヒントや、五感のそれぞれの機能、最強のラスボス感覚のこと、そして、野生のカンの正体とは?
ボクたち感覚派が自分に誠実に向きあうための大切なプロセスなど……
また、それらをうまく使うとどんないいことがあるのかを、ボクなりの考察でお伝えしています。
本題に入るまえに、少しだけボクの自己紹介をさせてください。
ボクは3歳から児童福祉施設で育ちました。両親と離れて暮らしていたので、思い切り甘えたり、淋しいときに誰かに寄りそってもらった記憶がほとんどありません。両親をはじめ人とのふれあいや距離感がわからないまま大人になりました。
社会生活をはじめた頃、自分がAC(アダルトチルドレン)の気質があり、あらゆる感覚が閉じてしまっていることを知りました。
感覚がうまく働かないので、感情がわからなかったり、人の顔色が過剰に気になったり、自分という存在があやふやで「世界から取り残されるのではないか?」といつも怯えていました。
大人になっても、喜怒哀楽などの基本的な感情表現がうまくできず、他人に素直な気持ちを出すことが怖くて仕方がありません。
“ボクはこのままではいけない” “ボクは感じてはいけない” そんなふうに必死に自分を抑えこんでいたのです。
「ずっとこんなガマンばっかりの人生なのかな……」「なんのために生まれてきたんだろう…… 」自分の生きづらさに嫌気がさしたボクは、これまでの時間を取りもどすためにさまざまな知識を学ぶようになりました。
数年かけて体験した学びはボクに本質的な気づきをもたらしてくれました。少しづつ社会との関わりや人間関係が怖くなくなり、やがてボクの中から「傷つき」がなくなりました。自分を責めなくなったのです。
昔のような生きづらさが消滅して、どんなことを感じても悦びにつながることが実感できるようになったのです。
なぜなら感じることこそが“生命からのギフト”だとわかったからです。
それ以来、《感覚のままでいい、もっと感じてもいい、それを表現してもいい》とボクがボクの感度にゆだねることができました。
今では「五感を楽しむ」ことがなにより好き。
なにが起こるかわからないはじめての体験、知らない土地に旅すること。自然に触れ、感じ、いろんな方々と出逢い、語らい、または言葉をかわさなくとも、五感がキャッチするすべての時間が尊く思えます。そして、この静かな至福こそが人間の最高の能力「感覚」だと。
現在ボクは、心理セラピストとして活動しながら、発達障害の子どもたちを預かる施設でも仕事をしています。
体当たりで泣いたり笑ったり、生き生きとした子どもたちの多彩な感受性に触れながら、ボク自身がいちばん恩恵を受けているように思います。
ずっと欲しかった、安堵感。ボクはボクのままで生きていいという赦し。
なにを感じ、どう望むのか。すべて選べるんだという実感。
幼いころ体感できなかかったしあわせを、いま存分に味わっているのです。
そのような背景があり、今回は“感じることの大切さ”について、ボクなりの探求を綴ってみました。
いつもは心理学や潜在意識をテーマにしたお話をしていますが、今回だけは「感覚重視」。きっと繊細さんと呼ばれる方にもお役に立てるかと思います。巻末にはすぐにできる「五感ノート」の詳細もお話ししました。
年内限定記事となりますが、途中まで無料でお読みいただけますので、ぜひご一読いただけると嬉しいです。
目次はこんな感じです!
■本能レベルの働きの世界へ
ここから本題です。
「感じるってどういうこと?」そんなご質問をよくいただきます。
答えはシンプル。
みなさんが日々感じている、楽しいこと、理由なく好きなこと、ワクワクする感覚の正体とは、
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ボク自身の経験から「生きづらさ」を軽くする考え方や方法を発信しています。共感してくれる仲間を集めています!大切な仲間たちと気軽に集まれる居場所「MITSUKI HOUSE」実現を目指しています!!