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“なんちゃって自己肯定”をやめよう。(それバレバレですよ)

こんにちは、心月です。今回は、多くの人が気づけない“なんちゃって自己肯定”について。

「どんな自分もOK!」と言いながら、ココロの奥の方で薄々気づいている、自分の嫌なところ、ここがイヤ、アソコも嫌い、ホントはこんなんじゃないのに!って思っていること、ありませんか?

あたかも「大丈夫」なふりをして、それがバレないように、裏でこっそりファイティングポーズで守りに入っていたり。

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■サラッと解説:なんちゃって自己肯定とは

ハラの底ではわかっているのに、ダサくてポンコツで、惨めで弱くて、どうしようもなくクズな自分。

それを認めると、ドロっとネガティブな感情になるのが嫌で、受け止めることが出来そうもなくて、つい表面的な「どんな自分もOK!」という格好だけうまくなってゆき、しれっとしていること。
でも、実は自己受容なんて全然できていない。

これを“なんちゃって自己肯定”といいます。

ある意味、”どんな自分も大丈夫だよ〜” “ありのままで人生はうまくいくよ〜” という世の中の風潮に流されてしまった結果かもしれません。

もっと言うと、そうやって取り繕って生きているあなた、みんなからバレバレだったりしますよ。(=_=) 
なぜなら不自然さは自分ではわからないから。

でも、大丈夫です!

どこで、どう、こんがらがってしまったのか? 理解と気づきが起これば、あなたの中の戦いは終わります。

■自己否定を自らする謎


この“なんちゃって自己肯定”と、ボクのお伝えしている自己受容は似て非なるものです。

付け加えると、「わたしは自分のここが嫌!」って思うことは自己否定ではありません。

・嫉妬や比較ばかりのブラックさ
・言い訳ばかりのグルグル思考
・永遠の先延ばしグセ
・「安かったから」という理由だけの消費
・スタイルを誤魔化すだけのファッション
・なんとなく「良さそう」だからと選んだアレコレ


それって、本当に、あなたの好きなものでしょうか?

▶︎好きじゃないし欲しくもない
▶︎実はワクワクもドキドキも感じていない
▶︎自分のエネルギーになっていない
▶︎本当の気持ちで選択していない
▶︎ネガティブな感情に蓋をするためだった

むしろ、考えても何が本当かわからない

こう答えてしまう方、少なくないのではないでしょうか?

それなのに

違和感があるって薄々気づいているのにもかかわらず、
「自分を認めることが大事」
「自分を否定しちゃダメ」「どんな感情もOKだから」

って、上辺だけの自己肯定を演じていることを、“なんちゃって自己肯定” と呼ぶのです。

これはまさに、自分で自分をマウンティングしている状態なのですよね。だからキツイ。


自己否定っていうのは、自分の存在を頭ごなしに否定することを意味しますから。

たとえば、良いところ悪いところ両方あるのに
「わたしには悪いところしかない」って自分の存在を決め付けたり

誰だって出来ることも出来ないこともあるのに
「自分は出来ないことばかり」と存在否定したり

誰からも突っ込まれていないのに
「わたしってホント無能なんです・・」とばかり、すすんで我が身をけなしたり。

冷静に考えたら、なんじゃそれ?ですよね。

もう、自作自演のコントでしかありません。


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■本当は〇〇されたいだけでした。

ここまで読んで「アイタタタ・・・」となっているあなた。解説しますので安心してくださいね。

じゃあ、

自己否定の“本当の目的”ってなんだと思いますか?

実はね、その先にある”愛情の獲得”なんです。
だから、そこをまずは認めてみてほしいのです。

“愛されたいのだ”、と。

つまり、人間はみんな、愛されたいから自己否定しているということ。

ですが、他者は自分の鏡ですから、自己否定している限りそこから得られるのは、“ニセモノの愛情”でしかありません。これは愛のような姿をしたまったく別物。

ご経験があるかもしれませんね。

そして、もう、うんざりしているはず。
こんなフェイクの感情など要らない、と。

このときの自己否定が示しているのは、ただひとつ。

自分の存在を、何の証拠もなく勝手に決め付けて被害者になっている状態だということ。

◎傷つけられたストーリーの主人公になることで同情を得たり

◎できないフリを続けることで関心を得たり

◎世界中で自分だけひとりぼっちだと決めつけて拒絶したり

◎いまここにいる自分よりも、”誰かが見ているあなた”を生きていたり


勘違いされたくない
残念なひとだと思われたくない
こんな風に感じられたくない

「だって、そういう経験があるから」

そういった、”痛み”は誰でも抱えています。


でも、それ、一体、いつのことでしょうか?

残りの人生、ずっとそうしますか?

っていうか、いま、おいくつ? 

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■だから、恐れずに

痛みに慣れて、どんどん麻痺してしまって、気がつかないうちに自己犠牲しているってことあるのではないでしょうか?

痛みというのは過去です。過去なので、事実ではなく思い込みや古い価値観でできています。

ですから、”慣れ”るのではなく「そもそも痛くなかった」と気づくことからはじめてみましょう。

「あ、そっか。いつまでも痛がる必要なんてないんだ」と腑に落ちたら、あなたの戦いは終わります。

■本当は傷ついていないしこれからも傷つくことはない


イラっとすること、悲しいこと、切ないこと、淋しいこと、傷つくこと・・・これからもあるけれど

だからといってあなたの存在そのものを、傷ついた人や悲しい人にする必要などないのです。

自己否定ストーリーの中で生きていると気づいたとき、自己否定”しなくなる”のではなく、自己否定が人生から”必要なくなる”と言うイメージ。

だから、恐れずに、嫌なものには嫌って言ってみる。

こんなの、自分じゃないもん!嫌だもん!

ホントはこれがいいもん!


自分に対する「こんなはずじゃない」を全面的に受け止めきる。

自分の“なんか違うって感覚”を無視して、ホントはわかっているのにわかってないフリをするなんて、これほど悲しいことはないのだから。

本当はそういう自分を好きじゃない、って気がついているのに、「ま、いっか」って嘘ぶいたりするのは“なんちゃって自己肯定”。

まずは、それをしている自分に気づいて、押し込めていた感覚を出し切ってあげよう。

自分のここが嫌い!
こんな自分イヤだ!
こんなのわたしじゃない!違う!

自分を100%受け止めるって、こういうこと。

本気で自己受容して、“なんちゃって自己肯定”から抜けてみよう。

もし、あなたが、違和感たっぷりの“なんちゃって自己肯定”で苦しんでいるのなら、サクッと卒業して、本当にココロが通い合った自分との約束をすることが必要とされているかもしれませんね。

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