「介護に正解はない」だが役に立つ

一応、前の記事の補足です。

役に立てば何でもええんか?1

「介護に正解はない」というのは、正しい介護や介護の正解があったとして、それが役に立たなかったら意味ないよってことです。

相手の話を聞かずに自分の経験則や聞きかじりの知識でA=Bみたいなことを言ってくる人がいます。
最近も「散歩をすることはいいことなので全員訪問介護で散歩をさせます」みたいなことを言っていた施設スタッフが居ました。散歩は役に立つと思うし、散歩をしないのとするのではしたほうがいいとは思うんです。そこまでは同意します。ただ、その利用者さんにとって役に立つかどうかって話はきちんとその利用者さんと向き合わないとわからないと思うんですよ。そもそも散歩は嫌い、家族と散歩に行ってる。デイに行ってる、歩けない、などなど色んな想いがあると思います。現状コロナでうまくいかないこともありますが、画一的な正解の対応だと相手に混乱を招いたりクレームの誘発になったりすると思うんですよね。

あとこれもよくあることで、お茶飲ませすぎ問題
これも、何とか何とかっていう介護理論があって、水分不足でせん妄になっていたり、水分摂取したほうが認知能力の向上があったり、便秘の改善など水分摂取はいい事ずくめなんですよ。それはわかります。
ただ、利用者は目の前に居てて、その人がもう飲めないと言っているのに一日に何リットル飲まなきゃいけないからと無理にでも飲ませようとしていることもあるみたいです。そのスタッフさんは真面目なんでしょうけど、目の前を見ようよって思うんですよね。

なので、画一的なことより、その人を見ましょう、そしてそれはその人の何の役に立っているのか、ということが重要だと思いますよ。

役に立てば何でもええんか?2

利用者さんが、自身の息子のために料理をしたくてもできないから「ヘルパーさん、今日は息子の好物作ったってや。」みたいな話もあります。
その利用者が息子のために作ってあげたい気持ちがあって、それを代行するのは、役に立つ行為やんか、役に立つんやったらええんやろ?って思いますやん?
でも、これは駄目です。介護保険では本人以外の支援はだめなんです。
役に立つことを行うことは重要ですが、役割や行える範囲があります。それを逸脱するのは悪い行為です。
「ちょっと庭も掃除してや」「タバコ買ってきてほしい」「一人で食べるのも味気ないから一緒に食べよう」「手持ちがないから立て替えてや」「デイの帰りにスーパー行きたいからそこでええから下ろして」「今日だけでええから病院まで車で送ってや」「今月きついからお金頂戴」さあ、どこで線引します?

支援者側が自分の役割や支援する範囲をきちんと認識する必要があります。事業所内でも「そんなん可愛そう」とか「ちょっとぐらい」とか言われる人もいます。その気持はわかりますが、他人の支援にそういった口に出すのは良くないんです。寂しいと漏らした利用者や、支援が行き届かない利用者が居る場合、「可愛そう」と言ったスタッフは何をしてくれるんでしょう?
そんな人を見つけては自分の家に連れて帰るのならこちらも文句は言いません。家族同然に仕事関係なく接していくのならいいんですがそういった方はそこまでしてくれません。こちらとしても仕事として行っているので線は引かないと支援は行なえません。

別の問題で、言われるがまま要求を受け入れてしまうと別のスタッフが応対した場合に「あの人はしてくれたのに」「あんたは何もしてくれへん」となります。
そしてそんな要求ってだいたい算定できないことなんですよね。後で発覚した場合にさかのぼって返金することになったり、罰則があるかもしれないので線引は必要なんですよ。

じゃあ「役に立つ」ってなんやねん

使って効果がある。有用である。「―・つ人材」「急場の―・つ」

効果があること、有用なことです。
介護で考えた場合に「その人のニーズに対して有用なこと」と捉えることがわかりやすいと思います。

寝たきりになりたくないと思っている利用者に対して、散歩をしているのなら継続した方が有用だと思いますし、運動量を増加するためにデイサービスや、買い物、リハビリを行っていったほうがいいと思うんです。転倒して骨折したら寝たきりになっちゃう可能性もあるので転倒しないように、手すりの設置や歩行器や杖の利用、転倒防止のためにもリハビリや運動といった事も考えられます。もちろん他にも考えられますよね。
この中のどれが正解なんでしょう?全部といえばそうだと思いますし、どれが結果的に役に立つかわからないから実施する前では正解は決められない、とも思います。
その人の状態を見て、ニーズを聞いて、目標を立てて、ってすると「答え」が得られそうですが、案外それを何度行っても「正解はこれ!」って思えたことがないんですよね。
こんな感じかなぁと思えば良い方で、これでいいんかな?と思いながら、本人さんの意見とのすり合わせも行いながら支援しているのが日常なので、やればやるほど「正解」なんてないよなと思っています。

なので、どれかが役に立ってくれたらいいなとか、それを目標にするならこれが役に立つんじゃないですか?とか、こっちとコッチならこれが効果的だと思いますよって言うのが精一杯ですよ。

他人な決めたことより自分が決めたこと

当たり前の話で、他人の気持ちってわからないんですよね。どれだけ話をしても気持ちが全部まるっと見通せることなんでないと思うんです。
それは利用者さんも一緒で、ケアマネやから、支援者やから、ヘルパーやからと無条件で心を開くわけじゃないんですよ。
そんな中でも利用者さんが「どうしたいか」を聞き出して、それに対してこんな方法がありますよと選択肢を提示して、その中から本人に選んでもらうが現実的な正解に近づく方法だと思います。

こちらの提示できる選択肢もどこまで正しいかわからないですし、人間が選択することなので間違いもあるとは思います。それでも、こちらが絶対的な正解を提示できないので選んで貰う必要がありますし、その人の人生なので自身で決めなきゃいけないと思います。

支援者としては、役に立つのではなかろうかと思う選択肢をより多く提示していくしかないと思うのです。

なので「正解」より「役に立つこと」が重要と考えています。

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