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エリザベス・キューブラー・ロス『「死ぬ瞬間」と死後の生』自然な感情(愛)

《愛》は、自然な感情の中で最大の問題です。
愛は、この世界を自己破壊させかねないほど重大な問題です。
愛が理解できないと、かならず大きな問題に直面します。
それは末期患者の場合だけではありません。
健康な人も同じです。

愛にはふたつの側面があります。

ひとつは、
手を触れ、抱きしめ、肉体的な安心感をあたえることです。

もうひとつの側面の方が
ずっと重要な問題なのですが、
ほとんどの人が忘れています。

それは「ノー」という勇気です。

自分の愛している人に向かって
はっきりと
「ノー」という勇気です。

もしノーと言えなかったら、
それはあなたの中に
あまりに大きな恐怖、羞恥心、罪悪感があるということです。

子どもが十二歳になってもまだ靴ひもを結んでやる母親は、
子どもを愛しているのではなくて、
ただ「ノー」と言えないだけなのです。

「ノー」という勇気が持てるということは

お互いに対して十分な信頼関係があるということです。

自分に対して自信がなくて

その信頼関係が持てない時に

「ノー」と言うことで

お互いの関係が崩れることを

恐れているのだと思います。


ほんとうの信頼関係があるのであれば

お互いの「ノー」という意志が

尊重されると思います。


これは

親子や家族やその他の人間関係にも

あてはまると思います。

親が自覚しなくてはいけない、
もうひとつの「ノー」があります。

子どもを愛するあまり
子ども一人で道路を渡らせることができない、
友達の家に泊まるのも許可できない、
どこであろうと出かけるのを許せないという親は、
実は
自分自身の欲求に対して「ノー」と言うことができないのです。

そういう親は、
子どもに
「あれをしてはいけない」
「これもしてはいけない」
と言うことによって、

愛情表現をしているのではなく、
たんに
自分自身の恐怖、やり残した仕事を、
子どもに投影しているだけなのです。

もう一つの「ノー」は

自分ができなかったことを

自分の子どもにもやらせないということです。


心配するように見えても

行動を規制するのは

自分自身や子どもを信頼していないからです。


自分がやりたいのにできなかったことを

子どもがやろうとする時には

見守ること

そして

そっと応援することが必要です。


そうすることで

自分自身も癒されるのです。


怯えることなく

子どもが経験を積むことを応援するのです。


できなかった自分の代わりに

また

子ども自身のために

応援をするのです。

恐怖や羞恥心や罪悪感のために、
子どもや自分自身に
「ノー」と言えないと、

子どもに障害を負わせ、
その人生を奪い、
自分からも人生の貴重な経験を
奪うことになってしまいます。

ビリー・アイリッシュのドキュメンタリー映画で

免許を取ったばかりのビリーが

車で高速を運転して友達の家に行くという時

ビリーの父親は

「行かせるのは不安だけれども

子どもを家に縛り付けるわけにはいかない、

多くの事を経験することの方が大事だ。

親もそのことで成長しなければならない。」

ということを言っていました。


愛情のあまりに失うことを恐れて

子どもに何も経験させないと

子どもの人生を奪うことになり

そして

それは自分自身の人生を奪うことにもなるというのです。


とは

自分の意思を尊重して、相手にはっきりと「ノー」と言うこと。

そうすると

自分と共に相手も尊重することが大切であることが理解できます。

そして

自分自身の恐怖に対して「ノー」と自分に言うこと。

人生は、

多くを経験することによって

自分自身を自由に生きるということです。

それを制御することは誰にもできないのです。

そして

誰の人生に対しても制御することができないということが理解できます。


愛とは

本当の気持ちを素直に表現すること。

自分の意思を尊重するように

他の人の意思を尊重することだと思います。


自分自身が満たされて初めて

他の人を満たしていくことができます。


だから

自分自身を大事にすることが

ほんとうに必要なことなのです。


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レモンバーム17
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