見出し画像

曽野綾子 屈折した部分を持つ

人の心は、

本気で

他人を思い、

責任を持って

その人と係わる時、


必ず

屈折した部分を

持つようになる。


その方が

むしろほんものなのだ。
『神様、それをお望みですか』

人間が本気で人のことを思うようになる時

その人のことを

よく見るようになっていく。


すると

それまで気にならなかったことが

見えてくる。


いいことも

そうでないことも

細かなことまで

見えるようになってくる。


だから

人を本気で思い

責任を持って

係わる時に


屈折した部分を持つようになっていく。


本気で

責任を持って

自分の子どものことを

思っている時に


どうにもならないということに

ならないようにするために


そう思うあまりに

考えすぎるようになり

また

見えるものが多くなり

こころが

屈折していくのだ。


いい加減。

よい加減。


適当に。

ある意味適当に。


そう思えるようになったら

もう大丈夫。


屈折した部分が

消えて行く。


子どもと言っても

自分自身ではないから。


思い通りにしてはいけない。

思い通りになってもいけない。


遠くから見守る。

見守り続ける。

遠くから眺める。


それくらいがいい。





よろしければサポートをお願いします。