ブルース・チャトウィン『ソングライン』人間の存続のために
『ソングライン』は小説のように書かれているところと
チャトウィンが経験してきたものや
考えてきたものや
哲学的なものが書かれている。
不思議な自由な形式の本だ。
誤解のないように言うと、重大な分かれ目というのはこういうことだ。
もし初期の人間が
獣のように凶暴で残忍だったなら、
欲に駆られて
皆殺しや侵略を繰り返していたとしたら、
国家は
統制という救いの手を差し伸べ、
人々の蛮行を食い止めただろうし、
それゆえ国家は必要だと考えられたにちがいない。
そのような国家は、
個人にとってはどれだけ煩わしいものであったにせよ、
ありがたい存在とみなされたはずだ。
そして、
国家を崩壊や衰退や弱体化へ導く個人の行動はすべて、
原始時代の混沌へと逆戻りする一歩となったであろう。
初期の人間が獰猛で残忍であったならば
人間の存続のためにも
国家というものが統制することで
生活の安定を図り
人間の存続のために
必要であったということができる。
国家という概念が
初期の人間社会にあったとすれば
部族としての統制を取るということだろうか。
部族の中での規律ができることで
無駄な争いを避けるということだ。
一方、
初期の人間が、
攻め立てられ、
奪われる下等な立場にあり、
社会集団も少数で結びつきが弱く、
地平を見つめて助けが来るのを待ちつづけ、
夜は怯えながら生きていたとしたらどうだろう。
僕たちが“人間らしい”と感じ続ける特質には
あまり当てはまらないが、
仮にそんなふうであったとしたら?
人間が少数で生きてゆくためには団結することが重要となる。
ひとりになるということは原始社会においては
死を意味することとなるからだ。
人々は
絶滅の不安から逃れようと、
ことばによる交流や、
歌作り、
食べ物の共有、
贈り物の交換、
異部族間の結婚といった対策
ー社会に均衡をもたらし、
仲間同士の争いを防ぎ、
平等な環境でのみうまく機能するものーを、
苦境の中で自発的に打ち出し、
発展させていったのではないだろうか。
そう考えると、
人間はそれほど本能的でも、
無計画でもなかったのかもしれない。
人が攻撃的闘争を長くは続けられないわけを、
一般的な防御理論でもっと簡単に説明できないだろうか。
威勢を振るう者がいつも敗れるそのわけを?
部族間ででいつも争うばかりに明け暮れていると
いつかは人間は自滅するということとなる。
その自滅を避けるためにも
言葉で意思疎通を図り
誤解を解くためにも
食べ物を共有し
贈り物を交換し
異部族間での婚姻関係を結び
お互いが血縁関係となることで
無駄な争いを避けて、助け合っていくという方法を取ったといえる。
そのような婚姻関係を作るということは
多くの歴史的な権力者たちも用いてきたことだ。
・・・
人間は長く闘争することができないようになっているということ。
また「奢れるものは久しからず」というように
多くの権力者たちが自滅していったことからも
人々からの信頼や尊敬を失った権力者は
やがて滅びていく。
・・・
人間の存続のためには
平等な環境の中で
お互いを助け合うことでのみ
均衡を保つことができるようになっていると言える。
・・・
現在の私たちは平等であると言えるだろうか。
分かち合っていると言えるだろうか。
助け合っていると言えるだろうか。
この状態で
人間はこれからも存続できると言えるだろうか。
現在そんな重要な分岐点にいる。
私たち一人ひとりが
真剣に考えて
声をあげていくことが必要となっている。
お互いに助け合うことにおいて
世界レベルで
国家レベルで
地域レベルで
友人のレベルで
親族のレベルで
家族のレベルで
親子のレベルで
もう一度立ち帰り
よく考えて行動していくことが必要だと思う。