曽野綾子『地を潤すもの』思い残した死
一人の人間が、
その最期近くに
何を考えていたかを確かめて
何になるのだろう。
誰もが、
何かを思いつつ死ぬのだ。
思ったのは
彼一人ではない。
自分の父親が亡くなる時に
何を思っていたのか、などという考えは
私にはなかった。
ただ苦痛が少なければいいと思っていた。
昏睡状態になってから18時間ほどしてから
亡くなったのだが
その時間が苦痛ではなかったと思いたい。
家族全員に見守られながら死にたいと言っていたのが
叶えられてよかったと思った。
死に際して
誰かが
光とともに迎えに来ているのだろうとも考えた。
死は
次の次元への旅立ちだと思った。
その時父は何かを考えていたには違いない。
家族が次々に家に戻り
父のそばに来ると
父はその度に涙を一筋流していた。
昏睡状態でも
聴覚が残るので分かっているのだと思った。
父の願いが叶ったことが
父に理解できていると思い
私は安心した。
父が
小心者で繊細が故に
お酒を飲まなければやり切れなかったということや
自分が中心にいなければ
機嫌が悪くなり周りに迷惑をかけるということは
大いに反面教師となった。
また
葬式に多額のお金をかけることに対しても
自分の時にはそんなことはしないと考え
いい勉強になった。
地球上の人間の数だけ、そこには、思い残した死がある。
どんな人間にも死において思い残すことはあるのだろう。
思い残すことがありながらも
死んで行くのが人間だとも言える。
できることなら
死において十分に考え
準備を怠らないようにしていきたい。
火葬だけでいいとか。
葬式もいらないとか。
自分のしたいようにやりたい。
残る家族が困らないようにもしたい。
エンディングノートというものが必要ということだ。
いつ死ぬのかもわからないので
日頃から家族に伝えておくことが大切だ。
誰の人生も
未完で終わるということを受け入れると
死は
悲劇ではなくなると思う。
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