枕にベーコン
お腹が空いたけどなんっにもやる気が起きないときは、ベーコンをそのままつまむ。
カリッカリのベーコンよりも焼かずにそのまま化学調味料の味を感じるくらいが好きだ。
焼かずに食べるのが外道だという人もいるらしい。
カリカリこそ至高派なんだか生肉みたいだから気持ち悪い派なんだか知らないけれど、美味しく安全に食せるよう加工されたお肉なんだし、人の趣向にケチつけんなしと思うし、何よりそのままトーストにのっけて食べるの楽で美味しいんだからちょっとやってみなさいって。
ともかく、我が家ではベーコンを常備している。
特に生産的な行動をしない(要するに寝てるだけの)休日であれば、1日にベーコン3枚分くらいのエネルギーだけでもなんとかなる。
良くないのは分かるが、無気力と食欲だと無気力が不戦勝する。
基本的には無気力でグータラな人間なのだ。
ただ、周囲からはアクティブで何事にもガンガン突き進むタイプだと思われていることが多い。わたし自身、そう見せている部分も多少ある。
わたしの感覚としては、何かお誘いがあればほぼ確実に乗るし、行きたいところがあれば行くし、会いたい人がいれば会いに行く。それだけのことだ。
やりたくないことはやらないし、面倒なことは後回し。
他人のためなら頑張るけれど、自分のこととなるとそれはそれはもう目も当てられないダメ人間っぷりだ。
ダメ人間っぷりは文章にも表れているのだろうなと思う。
「なるべく毎日書く!」なんて言いながらしれっと1週間書いていなかったりする辺り、もうダメダメだ。
しかし今週は「日常から離れていた日ばかりだった」という言い訳をさせてほしい。
会社に新しい人が入ってきたり、遠出をしていたり、メンタルに釘が刺さってひとりの家に帰れなくなり、ちょっと逃避していたり。
当然そんな中でも生活は続いているのだけれど、非日常だなと感じると色めき立ってしまうのか、些細な日常を掬うセンサーみたいなものがザルになる。
わたしがnoteを書いている理由は「日常の色をとりとめもなく残したい」からだ。
なんとも漠然とした抽象的な理由ではあるが、日常の些細なことを考える時間がないと書けない。
ここ1週間はその余裕がなかった、というのが言い訳だ。
余裕がなくても言葉を捻り出し、繋げて、きれいに添える、そんな強火でカリッカリに炒めたベーコンはもちろん美味しいだろう。
でもわたしは生ベーコンが食べたいのだ。
冷蔵庫のタッパーに詰められた無気力、どうでもいいつまらない些細でよくある日常。
けれどもそれを見るわたしの視点はわたしだけのもの。
非日常が増えると見落としてしまいがちなものも、そのうちザルの目が細かくなっていろいろ掬えるようになるのだろう。
生ベーコン、美味しいじゃんね。
わたしだけの「美味しいな」じゃ勿体ないから自分なりに表現をする。
わたしの視点を共有して、こんな変わったダメ人間でも生きていたことを証明する。
そう、生きていた証が欲しいのだと思う。それでもしも理解や共感が得られるのなら万々歳だ。
今日も無気力が不戦勝、わたしはベーコンをつまんで美味しい気分になる。