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ブルース・チャトウィン『ソングライン』移動する人間
人間が移動する種であるという見方は、僕の認識では、ロンドンの精神医療機関タヴィストック・クリニックでおこなわれた実験から生まれ、ジョン・ボウルビィ博士がそれを『母子関係の理論』という著作に記した。
正常な赤ん坊は一人にされると泣き叫ぶものだ。
泣きやませる最良の方法は、母親が赤ん坊を腕に抱き、満足するまで揺すったり、“歩いたり”することである。
ボウルビィ博士は母親の歩く速さや動きを忠実に再現する機械を作り、赤ん坊が健康で、暖かく、空腹でない環境にあれば、その機械を使ってもすぐに泣きやむという実験結果を得た。
博士の記述によると、理想的な動きは“三インチの横揺れにともなった縦方向の動き”である。
一分間に三十回、ゆったりと揺する程度では効果が見られなかったが、一分間に五十回以上のペースにすると、どの赤ん坊も泣きやみ、ほとんどの場合、しばらくおとなしくしていた。
母親に抱かれて移動する動きの中で赤ん坊は安心して泣くことがなくなる。
つまり移動することで人間は安全を確保していたということである。
移動している限り生き残る確率が上がる。
そのため無防備な赤ん坊は常に母親が歩いている状態を望むようになる。
または
常に原始時代から赤ん坊は母親に抱かれて守られ移動し続けていたということが分かる。
人間は生き残るために移動し続けてきたといえる。
・・・
来る日も来る日も、赤ん坊は歩くことを求めつづける。
赤ん坊がみなそういう本能を持っているのなら、アフリカのサバンナで暮らす母親も歩いていたにちがいない。
別の野営地へ移動したり、日々の食料を探しに行ったり、水場へ行ったり、隣人を訪ねたりして。
・・・
すべての新生児が“前へ進む”動きを好むのなら、次に解明すべきは、なぜ彼らがじっと寝かされているのを嫌がるのかということである。
ボウルビィ博士は、幼い子供の持つ不安や怒りの原因を突き詰め、次のような結論を得た。
母親と子供の絆は、複雑で本能的な恐怖によって形作られている。
何かを警戒して泣き叫ぶ子供の声(寒さや空腹や病気がもたらす泣き声とはまったく異質なもの)と、その泣き声を聞きつける母親の“超人的な”力。
暗闇や見知らぬ人に対して子どもが抱く不安や、急速に近づいてくるものへの恐怖、子どもが想像から生み出す恐ろしい怪物ーフロイトも解明しえなかった、こうした“正体不明の恐怖”のすべては、原始時代の人間の生活圏に常に肉食獣がいたという事実によって説明がつく。
赤ん坊の泣き声には母親はどんなに熟睡していたとしても目覚めることができる。
不思議に思っていたが、子どもを守る本能なのだ。
肉食獣から逃れるため、子どもを守るため、生き延びていくための本能。
ホウルビィ博士は、ウイリアム・ジェイムスの『心理学原理』から「子どもに恐怖を感じさせる最大の原因は孤独である」という一文を引いている。
ベッドにひとり寝かされ、蹴ったり叫んだりしている子供は、かならずしも、“死の願望”や“権力への意志”や、弟の歯を折ってやろうという”攻撃衝動”の最初の兆候を表しているわけではない。
仮にそうした兆候が表れるとしても、それはもう少しあとのことだ。
子供が大声で泣くのはーその寝床がアフリカのイバラの林の中にある場合ー母親が数分のうちにもどってこなければ、ハイエナに食べられてしまうからである。
子どもが泣いて知らせると母親はすぐに戻らなければ危険であるという状況であった。
特に新生児特有の力強い泣き声は生存のためなのだろう。
どんな子供も、襲ってくる”何か”のイメージを心の中に持っているようだ。そのなにかは子供を心底怯えさせるもので、たとえ現実には存在しなくても、一連の防御行動を誘発する。
蹴ったり叫んだりするのは、最初の防御反応なのである。
それを受けて、母親は子供のために、父親は、母親と子供のために、闘う体勢にはいる。
夜には危険は倍増する。
なぜなら人間は夜目が聞かず、大型のネコ科動物は夜に狩りをするからだ。
マニ教の一元論を想起させる、
この光と闇ー人間と獣ーのドラマは、
窮地に陥った人間の心に確かに存在するものである。
子どもが夜眠ることを怖がるのには、本能的に夜に肉食獣に狙われるという恐怖が未だにあるからだという。
病院の乳児病棟を訪れた者はしばしば、その静けさに驚く。
本当に母親に捨てられた赤ん坊が
生き残る唯一の道は、
声を立てないことなのである。
胸が苦しくなるのは
親に捨てられた子どもが生き残る次の手段は
できるだけ泣くことなく
音を立てないようにするということ。
泣くこともできなくなる。
保護されることもなくなった子どもが生存することは
肉体的にも
精神的にも
不可能となる。
十分に守られているという安心感や
愛情を感じることができなければ
人間は
体も心も同時に死ぬ。
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