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『菜根譚』洪自誠(明代末期)

耳にはいつも聞きづらい忠言や諫言を聞き、

心にはいつも受け入れがたいことがあって、

それではじめて、

道徳に進み、

行動を正しくするための砥石となるのである。

もし、

言葉がすべて耳に心地よく、

ことがらがすべて心に快適であれば、

それは、

この人生を

自ら猛毒の中に埋没させてしまうようなものである。

聞きたくないことをよく聞くことこそ

正しく生きる戒めとなる。

常に自分を見つめ

自分を鍛え上げて

より良く生きるように努める。

そうすることで

自分を磨いていくことができる。


快適であり過ぎると

猛毒の中にいるのと同じように

堕落して

自滅する。

自分の心情の動きというものは、

平穏な状態もあり、乱れる状態もある。

であるから、

どうして他人にだけいつも平穏な状態でいることを望めようか。

自分の心の状態にも波があることを認識しているのであれば

他人も同じだと認識できるようになる。

すると

他人に対して理解できるようにもなるかもしれない。


あの時は

体調が悪かったに違いないと。

人の過失をとがめる人は、

心を動かすごとに

自分を傷つける刃物となる。

人の過失と自分の過失

同じように過失をするものだ。


人の過失を責めるということは

自分の過失も自分で責めることになり

諸刃ということだ。


それを振り回すと

他人も自分も一緒に傷つく。

下り坂に向かう兆しは最盛期に現れ、

新しいものの胎動は衰退の極に生じる。

最盛期には危機感がなくなり

怠けてしまうから

後は下るだけ。


衰退の時には

必死に打開策を講じていくので

新たなものが生まれてくる。


この繰り返しで

人類は発展してきた。

だから

苦難が必要だったとも言える。


家庭にある時の戒めとして二語ある。

それは

「ただ思いやりが深くさえあれば、

家族はおだやかであり、


ただ倹約さえすれば

費用は十分に足りる」

という二語である。

家族がお互いに思いやりがあり

お互いに感謝することができるのなら

おだやかに暮らすことができる。

しあわせだ。


そして

倹約すると

十分に生活することができ、

満ち足りて

しあわせだ。

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