ブルース・チャトウィン『ソングライン』移動の自由
ストリーロは『アランダの伝統』のなかで、中央オーストラリアに見られる定住型と移動型の人々を一例ずつ挙げて比較している。
水場に困らず獲物も豊富な土地に住むアランダ族は、極端に保守的だった。しきたりを固守し、厳格にイニシエーションを行い、冒涜の罪は死をもって贖わせた。
自分たちを純粋な部族と見なし、めったに土地を離れようとはしなかった。
定住し安定した生活をしているオーストラリアの部族は保守的となり、お互いを見張り、厳しい罰則を持っていた。
定住することは、どうしても損失回避の心理となるのだろうか。
今あるこの生活を守ること、損なわないようにすることに気が行き過ぎてしまい、本来の生きることを楽しむことの意味を見失っていくというのか。
現在の定住生活している私たちにも当てはまるということだ。
一方、西部の砂漠地帯に住む人々は、閉鎖的なアランダ族とは逆に開放的だった。
彼らは歌や踊りを自由に貸し借りした。
アランダ族と同様、土地を愛する気持ちは強かったが、移動をやめることはなかった。
ストリーロは書いている。
「最も印象深かったのは、この土地の人々が笑いを絶やさないことである。いつも陽気に笑い、悩み事など一つもないかのようにふるまっていた。牧羊場で働くようになったアランダ族の男たちはよく言ったものだ。『あいつらはずっと笑っている。きっと笑いの止め方を知らないんだ。』」
生きていくということ自体を目的とする時には、お互いに助け合うことができる。
裏返すと、助け合わないと生きていくことができない。
抱え込むような財産もないから、比較することもなく奪い合うこともない。
苦しい時こそ、笑い、歌い、踊る。
すると
本当に笑い、歌い、踊ることができるようになる。
移動する生活を捨てることで
私たちは何かを捨ててしまった。
本来の生きることの意味を忘れてしまったのかもしれない。
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晩夏のマンハッタンの夕暮れどき。
ビルのすきまから斜めに足りつける夕日のなか、家路を急ぐ人々が、パーク・アベニューの南を自転車で走っていく。
連なって飛ぶオオカバマダラが、日陰では茶色に、日なたでは金色に羽の色を変えながら、パンナム・ビルをひやかし、グランド・セントラル駅のマーキュリー像のあたりで降下して、ダウンタウンから彼方のカリブ海を目指す・・・・・・。
光り輝く素敵な映像の美しさ。
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動物の移動に関する本を読み漁るなかで、僕はタラやウナギやニシンやイワシが旅をすること、そしてレミングの集団自殺について知った。(周期的に大発生し、大群で湖や海に飛びこんで溺死する)
人間の中枢神経にも”第六の磁気感覚”が存在するかどうかをめぐる議論について考えた。
セレンギティ平原(ビクトリア湖の東に広がる大サバンナ地帯の平原)を行くヌーの群れを見た。
親から渡りを学ぶ鳥たちのこと、また実の親に育てられることのないため、遺伝子に渡りの情報が刻まれていると考えられる、カッコウのヒナのことも読んだ。
カッコウは他の鳥の巣へ自分の卵を托卵するため、自分ではヒナを育てない。
カッコウのヒナはいち早く孵り、その巣のヒナの卵を巣から押し出し落とす。
そのためにカッコウのヒナの背中にはくぼみがある。
恐ろしいシステムを持つ。
すべての動物は別の気候帯へ移る必要性から、またアオウミガメの場合は別の大陸へ移る必要性から、移動をおこなってきた。
すべての動物にとって生きることは移動することなのだ。
鳥がどのようにして太陽の高さや、月相や、星の動きから自分の位置を定めるのか、嵐で進路から吹き飛ばされた場合、どのようにして軌道修正するのかを説明する理論もあった。
ある種のカモとガンは、地上にいるカエルの合唱を”記録”し、沼地の上を飛んでいることを知る。
また、夜に飛ぶ鳥たちは、鳴き声を地面にはね返らせ、その反響音をとらえて、高度と地形の特徴を判断する。
それぞれの動物たちが移動するときに、自分の位置を確認する手段が多く論じられてきている。
巧みな技術ともいえる本能のなせる技。
移動する魚たちの発する轟音が船壁越しに聞こえ、眠っていた水夫が目を覚ますことがある。
サケは生まれ故郷の川の味を覚えている。
イルカは、障害物を避けて進むために、サンゴ礁に向けクリック音を発して反響定位をおこなう・・・・・・
そこからこんなことにも考えが及んだ
ーイルカが自分の位置を知るために行う”三角測量”は、僕たちが日常生活で出会うものに名前をつけ、比較して、自分の居場所を決めていくのに似ている。
ブルース・チャトウィンの独自の感覚は想像を超えている。
実にその通りなのだ。
日常生活をするように、意味づけするように、自然に自分の位置を確認しているに過ぎないのだ。
ぼくが読んだどの本にも、当然ながら、最も壮大な旅をする渡り鳥のことが書かれていた。
北極海のツンドラに巣を作るキョクアジサシは、南極圏の海で冬を越し、再び極北へ舞いもどる。
最も壮大な渡りをするキョクアジサシは地球の多くを見届ける鳥と言える。
キョクアジサシのように多くの土地に暮らし、多くの経験をしてきた一人の人物がその後の文章に書かれている。
外面は浮浪者のような格好だけれども
内面はキョクアジサシのように真っ白で綺麗なのだと言っていた。