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木皿泉『二度寝で番茶』「最悪の中の幸せ」

まるごとの幸福、

なにから何まで幸福といった状態は

幻想である。


そんなものはない。


幸福は常に断片として立ち現れる。

(春日武彦『幸福論』講談社現代文庫)

脚本家のかっぱさんが鬱になってしまった時の話。

私は、何もやりたくなかったので、死ぬことさえやりたくなかったですね。うつ病で自殺しちゃう人は快復期だって言います。

とにかく、
世間のルールがわたしの中で崩れてるのはわかりました。

人の出すサインが読み取れないっていうんでしょうか。
冗談で言われたことを、そのまま受け取ってしまうんですよね。

プロデューサーが電話で、ボク、三日徹夜ですよ、と言ったとたん、

私はダァーと泣きだすんです。


全部私のせいだと思い込んでしまうわけです。


プロデューサーは、軽い口調で世間話として言っているだけなんですよ。

そういう細かいニュアンスが、私には全然通じないんです。
私のことを恨んでいると被害妄想に陥るわけです。

裏が読めない。

声のトーンとか相手の気持ちを推し量ったりできない。

でも普通の生活っていうのは、

そういう暗黙の了解みたいなものがあって、

コミュニケーションが滞りなく行われていると思うんです。


さらに言うなら、

自分という人間は、

そういう関係の中で成り立っていたりするわけです。

だから、

それがなくなると

自分は自分でなくなって、

ものすごく不安でしょうがない。


それで泣いていたんでしょうねぇ。

その時には、みんなに親切にしてもらったということです。

そして

うつ病の時にちょっと幸せな気持ちになったそうです。

どう考えても最悪な状況なんですけどね。

一番ありがとうと言いたいのはプロデューサーです。

ドラマを続けるのはもう無理ですって電話した時、

私、自分の不甲斐なさにポロポロ電話口でと泣いてしまったら、

彼に「たかがドラマじゃないですか。そんなことぐらいで泣かないでくださいよ」と言われたんですよね。

でも私が降板したら、

一番困るのは彼で、

すべての責任を取るのも彼で、

事後処理を想像しただけでも

とんでもない状況が待ち受けているわけで、


そんな立場の人から

「たかがドラマじゃないですか」

って言われたのには、

とても応えました。


気分はドン底なのに、

そんなことを、

こともなげに言ってくれる人がいることが、

わたしを幸福な気持ちにさせてくれた。
結局、薬が効いて、ドラマは続投できたんですけどね。(かっぱ)
沈んで、沈んで、沈んだその底に、

何かがことんと落ちていて、

よく見たら幸せだったってことですね。(大福)

すべての事に

「たかが」

をつけて考えると

気持ちが少し和らぐと

曽野綾子さんも言っていた。


自分だけが何とかしないと思っていると

追い詰められるけれども

代わりは

いくらでもいると思っていると


大概の事は

「たかが」

がつくようなこととなる。


自分で自分を縛らないように

生きていきたいですよね。

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