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曽野綾子『誰にも死ぬという任務がある』「微粒子になって」

カトリックに「光栄ある乞食坊主」の思想があるという。


アッシジのフランシスコという人は

若いときには放蕩息子であったが

一切の贅沢を捨てて信仰に生きるようになった。

人間は衣食住に、深く心を使ってはいけないということなのであって、祈り、瞑想、商業ではなく農業などの労働、人の救済のために時間を使うべきだ、という思想である。
フランシスコで有名なのは
「托鉢に行って、その日の糧をもらったら、明日、明後日の分まで貰おうとして托鉢を続けてはならない。
すぐに帰って来て本来の祈りの生活の戻りなさい」
という言葉である。

人間がお互いに余分なものを求めることなく

支え合って生きることができるとしたら

戦争の脅威はなくなり

すべての人の生活が

充分に満ち足りるものとなるだろうにと思う。

醜い争いの世界など

みんな見たくはないはずなのに。

やめることができなのだ。

やめることを恐れているからだ。

・・・

ムッソリーニの言葉

打ち続くイタリア戦線での失敗以来、ムッソリーニはしばしば死の予感にとらわれるようになった。
1945年3月
彼は知人の女性記者に書き送っている。
「死がわが友となり、もはや恐ろしい存在ではなくなった。あまりにも苦労した人間にとって、死は神の恵みである」
「私に開かれた道は、死以外にない。それが正当だ。私は過ちを犯したのである。それを償おう。もし私のこの虚しい命に、何らかの価値があるのなら」
「私は一生の間、演説でも文書でも多くの引用を行なってきた。間違ったものもあるといわれているが、今はもう一つ引用したい。
今こそは正確である。
ハムレットが言ったように、
私も
『その後は沈黙となる』
と言おう。
かねてから大いなる沈黙に入る決心はできている」

沈黙とは「死」

ほんとうに死を覚悟していたのだろうか。

スイスに亡命しようとして捕らえられたというのに。

しかもヒトラーも一人で死ぬことを怖がり

愛人を巻き添えにしている。


どちらにせよ

同じようなものなのだ、人間は。


何もかもが恐ろしいから

自らがやれらる前に

恐ろしいことをするのだ。

・・・

ロマノ・ヴルピッタの著書の『ムッソリーニ 一イタリア人の物語』から

「彼の覚悟は、自殺をもって歴史の終焉を告げようとしたヒトラーとは、まったく違うものであった。
ムッソリーニにとっての死は、
歴史のなかでの自分の永遠性を保障するものであった。

そのためには
自殺ではなく、
生贄の形を取らなければならなかった」
1945年ムッソリーニはスイス亡命に失敗してパルチザンに捕らえられ、最後の愛人と共に射殺されてミラノのガソリンスタンドの屋根に逆さ吊りにされた。

後付けの歴史

・・・
京都の音禅法要の最中、私は人間は生から死に移行する瞬間か、経過かの変化を考えていた。
そしてその変化をかなり自然に受け止められるような気になった。

私たちは死によって何か違う物質が粒子になって、存在し続けるのではないか、という気がした。

それが読経と音楽の力だったのだろう。

人間の体も死後には分解されて粒子となっていく。

それらの粒子が次の生物がつくられる材料となる。

その粒子になって宇宙の溶け込むためには、人間は自分の現世における存在などできるだけ残さないのがいいような気がする。

曽野綾子さんは忖度することなく

自分の意見を主張する人だったので、

多くの文学賞をもらう機会を失くしていた。


そんな忖度だらけの文学賞に意味はあるだろうか。

賞をもらわなくとも

賞をもらうことを目的とすることではなく

書きたいから

作家は作品を作り出すのだと思う。

名前など儚いものだ。

名前を残すことが目標なのではなく

名前が残ることをしたから

名前が残っていくのだ。

しかし消えて行くことの美は完璧だ。
もし残るとしたら、作品の力だけなのである。

曽野綾子さんの作品も名も今後も残っていくだろう。

ルーブル美術館の大階段の踊り場におかれた「ニケ(勝利)」の巨大な羽を持つ躍動的なトルソは、作者名もわからないが、永遠の生命力で今も見る人を圧倒する。
名は残らないが美は残るのだ。

人の魂を震わすものはずっと残っていくのだ。

稀代の殺人鬼やテロリストだったという名を残さずにこの世を去ることができただけで、私の人生は成功なのである。

逆に言うと悪名を残さなければ

人間の人生は成功だということだ。

そういう意味で、私も私の友達も、多分ほとんどの人が、人生の成功者になれるのである。

平凡でいい。

ただこの世に生まれて

懸命に生きた。

それだけで成功なのだ。


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