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小川洋子さん『黒子羊はどこへ』(『約束された移動』より)
(あらすじ)
貿易船が座礁し、海岸に流れ着いた見たこともない種類の二頭の羊を引きとった人は、村はずれに住む寡婦となった人であった。
二頭ともにアイボリーホワイトだったけれども、春にその二頭から羊は全身真っ黒の子羊が生まれた。
黒い子羊に噂は村中に広がり、大人たちは不吉な印であると寄り付かなかったが、子ども達は禁止されるとさらに興味を示して夢中になって黒子羊を見に来ていた。
黒子羊はどんどん大きくなりやがて黒い角が出てくると、親の二頭の羊は安心し相次いで死んでいった。
そしてその人は、黒子羊を見に来る子ども達を預かる託児所の園長となった。
運河に来る遊覧観光船の遠い町からの乗客は、村の人のように黒子羊を嫌い避けるような先入観はなく、公園にいる子ども達に善良な笑みを浮かべていた。
園長になった人には覚悟があり、また子どもを引き付ける才能があった。一度妊娠したが流産となってしまっていたその空洞に子どもと彼女との関係があることで満たしていた。
子どもが本を読む時に、園長が子どもを抱っこしお互いにぴったりとくっつくことの心地よさを幸せに感じていた。園長のお気に入りは偉人の本だった。
園長は『子羊園』に入ることができる子どもを瞬時に見分けることができた。それは抱っこできるかどうかであった。
子どもはやがて成長し子どもでなくなる時が来る。
金曜日の夜に園長はシャワーを浴びシルクのワンピースを着て、大人になったJが歌うナイトクラブに行くが、どうしても中に入ることはできず、店の裏口の排気口の下、ごみ箱の上でJの歌を聞く。そして子どもの頃にJがくれた厚紙でできた黒子羊のイヤリングを大事にしている。
園長先生のお話は、いつも決まって黒子羊の死に方の話だった。
ある時は、黒子羊は野犬の襲われ藪の中に入ってしまい、その中の柵に挟まり身動きが取れなくなり柵が肉に食い込み、生え始めたばかりの角先がフックのように突き刺さってしまう。ひどい苦しみの中で何日も過ごし、やがて夜露をなめた後に死んでしまう。そしてその死骸は朽ちていく中で魅力的な芸術品となり、遠い町で今でも展示されているという話。
黒子羊にその”ある日”が訪れる。これは黒子羊の話であるのか、現実であるのかは分からない。黒子羊は夜明けに柵を抜け出して、だた真っ直ぐに歩き、そして伸びすぎた自分の角に首を絞められて死ぬ。苦しむことなく気高い死であった。その角を持っていれば世界を見ることができるという。
園長にもその”ある日”が訪れた。Jの歌を聞きに行った帰りに芝に足を取られ運河の落ちて溺れ死んた。
葬列が長く続いている。子ども達は黒い服を着て全体で一かたまりになっている。死者の閉じられたまぶたに黒子羊が浮かび上がり、その黒子羊の後に葬列が続いている。
(感想)
流れ着いた二頭の羊を引き取った女性は、やがて園長になる覚悟を黒羊が生まれた時に悟る。
その女性にはかつて妊娠したが流産したという悲しみの空洞を埋めるために子どもを引き付ける能力があった。
そして女性は伴侶をなくした時に羊を引き取り、黒子羊が生まれ、また子どもを引き付ける能力がある黒子羊とともに「子羊園」を開く覚悟ができた。
黒子羊の死に方は自分の角で自分の首を絞めるというものであり、覚悟が見えてくる気高いものであった。
全てにおいて苦しみや悲しみの中での覚悟のある転換点が見えてくる。その覚悟があることで、苦しみや悲しみの中に見つける希望や自発的な受容がある。
ピンチはチャンスとも言えるが、果たしてどれだけの覚悟をもってチャンスとすることができるのかを自分自身に問いかけてみたい。
気高く生きることができるのか、その覚悟はあるのか、実際に行動することはできるのか。おそらくピンチが導いてくれる。そしてそれを受け入れていくことで挑戦できる。
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