「他人を見下す若者たち」から学ぶ、仮想的有能感と喜怒哀楽の変化
常にキャッチーなワードでZ世代や組織開発を語る坂井風太氏の動画に出てくる「仮想的有能感」という言葉。
動画の13分頃から、「最近の若者は~」のくだりで「仮想的有能感」というワードが出てきています。
このワードが紹介されている「他人を見下す若者たち」という書籍を今回読んでみました。2006年の本ですが、現在に通ずるものが非常に多い本です。
仮想的有能感とは
動画でも紹介されていますが、仮想的有能感とは自分は人より偉い、と思うこと、そして本当は有能ではないにもかかわらず、というところから「仮想的」となっています。
なぜ仮想的有能感に浸るのか?
書籍では様々な背景が書かれていますが、その一つにあるものが「他者軽視」です。
感情の面からは以下のように触れられています。
怒りが増幅され、例えば列車内でのトラブル(迷惑行為)も激増している
一方で悲しみを持たなくなり人の痛みがわからなくなっている(共感性の欠如)。
他者とのかかわりにおいては、
意識過剰で他者の目を気にする。「自分がどうみられるか」しか考えていない。利己的
そして、他者の良いところにも目を向けようとしないから、他者を軽視し、仮想的な有能感に浸る
…結果、他者を軽く見るようになり、自己中心的になってくる、というものです。
ヒロシのブームも仮想的有能感から?
現在はキャンプ系ユーチューバーとしてブレイクしている芸人のヒロシ氏。本書の刊行された2006年ごろは自虐ネタで一世を風靡していました。
この自虐が流行ったのも見下すことによる仮想的有能感が背景にあるのではないか、とされています。
所感
他者への仮想的有能感に浸っていること。それは自己中心性と他者への無関心が背景にあること、が印象的でした。
東日本大震災やコロナ禍をきっかけに「つながり」が再評価されました。しかし、大事なことは災禍ではなく日常からつながりを意識し、物事を多面的に見て、人の優れたところに気づくこと。そうして一日一つでも人や物事に関心を寄せていけば、仮想的有能感の不毛な争いから脱却できるかもしれません。