僕たちが向かいたいところ

「わからないこと」がわからない。それをなくすことが、最近ずっと掲げているモットーだったりする。出来ることなら性善説を持っていきていないけど、それだけではない現実をいろいろと直視してきたような気がする。

弱い立場でいると、平気で約束を反故にしてくる大人がたくさんいた。まともに話をしているようで、全く日本語の通じない日本人もたくさんいた。いやそもそも同じ母語を話す人とコミュニケーション取れない人が、海外の人とコミュニケーションとか無理ゲーじゃん案件もきっとあるだろう。

もちろん自分に非があるようなことも、ここまで生きているあいだには、全くないとは言えないぐらいはやってきていると思う。でも僕たちの向かいたいところには、そんな大人たちのいる場所ではない。

なぜ大人たちは自分たちの肩書めいたものでマウントを取るんだろうか。もう半世紀を越えて生きている人たちが自慢をするのは、ちょっとちょっとちょっと的なものを感じてしまうのは変なのだろうか。

ソーシャルネットワーク理論が出てきたころ、世界中の人は6人でつながると言われていた。だがしかし、SNSが発達した今だと3人ぐらいでつながるんじゃないだろうか。だから向かうべきところはフラットであるべきだと思う。サッカーでいうとトータルフットボールのようなフラットさというべきだろうか。常にみんながポジションチェンジを繰り返しながら目標に向かっていくような姿が理想のような気がする。

全員が攻めるし、全員が守るし。最前線からのゲーゲンプレスも有効だと思う。ファンタジスタみたいな人もいてもいいと思う。でもわがままに振る舞うことは今は許されない。

なんだろ。これだって「絶対」はもうないはずで。もちろんその人にとっては絶対でも、あなたにとっては絶対ではない。そんなの当たり前でしょ。個性とかってことじゃなくて、絶対って言葉に惑わされると辛いなと。

殊更自分の成果アピールが強く、言葉だけが強い人には近づきたくない。言葉だけで成果が出来るなら、いくらでもって感じだけど、そんなのありえないと思う。本当に世の中もろもろチリツモでしかない。魔法があるなら使いたいぐらいチリツモでしかない。

だから、本当に地道に積み上げるしかない。リテラシーにしても新しい何かが出ればそこに合わせないといけない。だからチリツモでしかない。僕らは地道に積み上げることで、「わからないこと」を少しずつ減らしていかないといけない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?