リライト▷顔が死んでいる夫に転職をすすめてみた
過去にかいたテーマをもう一度書き直しました。
『転職』
夫にとってありえない発想だったらしい。
平日も土日も関係なく毎日職場に行く。
帰宅は毎日20時半を過ぎる。
持ち帰りの仕事を23時近くまでする。
そのうえ、毎日悲痛な表情をしている。
朝出勤する前に行きたくないと言う。
頻繁に辞めたいと考えている。
「そのうち心を病むかも」「そしたら辞められる」などと言う。
これ以上に過酷な労働環境もあるかもしれない。それで生きがいを感じられる人もいるし、それで幸せな人もいるんだと思う。
ただ私は、大切な人に心を壊してまで働いてほしくないと思った。
楽しいことを楽しいと思える心の状態があれば、きっとどうにでもなるし、心を壊してまでやるべきことなんてないと思っている。
世間では「あきらめないこと」「逃げないこと」「根気」などが良いこととして謳われている。社会ルールを学ぶ場である学校では、校訓にそういった文言が入っていることが多い。夫は「あきらめない」「逃げない」全部できる人だ。コツコツ取り組むのがとても得意。恩師からも褒められることばかりだ。
「あきらめないこと」「逃げないこと」「根気」もちろん大切なことだと思う。
でも、この考えは心が元気な時にさらに上をめざすものに思える。心が元気でない時に、自分に言い聞かせ続けるとたぶん100%心を壊すことになる。
私自身はあまりこの考えが染みついていないタイプでコツコツ取り組むことが苦手だし、向いてないと思ったことはすぐに方向転換する。この性格だったからこそ、わたしは兄弟の世話を放棄することを分かって家を出ることができた。「あきらめない」「逃げない」なんて信じていたら、今の生活はない。母から逃げたことに罪悪感を感じないためには、そんなこと言い聞かせていられない。
きっと誰だって、心に元気がなくなるときがある。家庭環境や性格面で恵まれていても、いなくてもそういう時はあるのだと思う。
戦略的撤退。自分を守るためにその場を離れる。そういった選択を、私はもうすでにしてきた。その選択は間違っていなかったと思う。後悔はない。
心は一度壊れると、治るのにとても時間がかかる。元気になりたい。そう思い続けている私だからこそ、夫の壊れそうな心がそのまま壊れていくのを見ているのは嫌だった。
夫の逃げられない理由の一つに「結婚したから」という理由があった。それこそありえない。そんな理由になってたまるか。心が壊れる辛さを知っているのに、自分がその理由になるなんて絶対嫌だった。
なによりも、心が壊れないことが最優先。
結果的に夫は転職することを選んだ。不安もあるけれど、心を守る決断をしてくれたことがうれしいし、ワクワクしている。
わたしよりも遥かに情緒的に安定している夫なのに、心を壊さないことについては私が少し秀でていたなんて皮肉な話だけれど、今回は役に立ったみたいだ。
このnoteのテーマは、元気になること。心が辛い状態から、治していくこと。夫だけでなく、どんな理由でも今いる環境が辛い人に、そこから離れる選択肢を持つきっかけになれば良いと思う。
このnoteを書いてから半年。
ふたりで一緒に夜ごはんを作れるようになった。
何を話しても心ここにあらずな夫はいなくなった。
朝が来るのが辛くない。
健やかに暮らしている夫と暮らすのがわたしはうれしい。
朝ごはんはまいにち夫が作って
くれる。朝ごはんと、その姿が嬉しい。