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父と3人の母。今も幼少期の痛みを引きずる私の物語

今年の正月、実家に帰った時実の母に会ってきた。
私は幼い時に両親が離婚し、父に引き取られ育てられた。その後20歳を過ぎるまで一切会うことのなかった実の母。子供の頃は父と新しい母(と言っても籍は入れてなかった)とその息子たち、私の弟と暮らしていたがこの新しい母が怖くて懐くことができなかった。

父は子供がかわいいという気持ちはあるが、実際子育ては継母に任せっきりで自分の趣味を1番に楽しむ人だった。高給取りではないのに高級車を3年に一度入れ替えたり、スキーや自転車、パチンコ、酒など自分の好きな事ばかりをしてきた。

継母は血が繋がらず懐かない私を当然かわいいなどと思うことはなく、引き取られてすぐの小学校低学年の頃から家事をさせ、父と一緒にパチンコへ行くなどしていた。

欲しい服を買ってもらったり、一緒に買い物に行っておやつを買ってもらうなんてこともなかった。
クリスマスにごちそうはあったけれどもプレゼントなんかほとんどなかった。一度だけ買ってもらった時は欲しくもない鳥のおもちゃで、私の意見など聞かずに勝手に買ってきた。

普通の家の子たちが経験している親子のふれあいや会話のない家。私と父や継母との距離は遠かった。
それは継母の連れ子たちも一緒で彼らも父のことは嫌いだった。

私は小学4年生の時、学校でいじめられたことがあった。当然親には言えない。
ある時継母がどこからかそのことを知って私のことをバカにして笑い、お前が悪いと言ってきた。
この時、私は死のうと思った。自分を守ってくれる人なんていない。自宅の2階のベランダから飛び降りようと覗きこんでいた。
ふと実の母のことを思い出し、家出しようともしたができるはずもない。とりあえず母に手紙を書いて机にそっとしまっておいたがこの手紙が継母に見つかってしまい、こっぴどく怒られることになる。
こうして家では完全に心が死んだ状態で19歳で家を出るまで過ごした。

家ではこんな状態ではあったが、学校は楽しかった。いじめられたのは一時でそのあとは友達と楽しく過ごせていた。それが私の救いになっていて、外では認めてくれる人がたくさんいたのがありがたく、グレることもなかった。

そして私の実の母。
20歳を過ぎて会った時はイマイチピンとこなかった。あんなに会いたかった母だけどなんか他人のようで…。
その後も母が再婚していたのもあり、距離は縮まらないまま何度か会っていた。
私がDVで避難したあとは連絡すらしておらず、弟から今の私の状況を聞いてある日突然連絡してきた。
その時私は適応障害になり休職したばかり。心も不安定だったので思わず涙が出た。
その後は母は妹である私の叔母さんに頼んで野菜を送ってくれたり(農家なのだ)海産物など送ってきた。
今は再婚した相手も亡くなり、1人でいて70歳を過ぎてもまだ仕事をしているとのこと。
最後に母に会ったのは1番下の子がまだ赤ちゃんだったから15年くらい前かな。
いつもは正月は実家に帰らないけど今年は帰って母に会ってこよう。そう思った。

実家の父に正月帰ることを言うと嬉しそうだった。上の子たちも一緒に行くことになったのでなおさらだ。だが毎回「婆さん仕事だからお前が手伝えよ」と言ってくる。実家に帰っても手伝いを強要されるのだ。
「婆さん」とは父の今の再婚相手で私が子供の頃にいた継母とは別の人である。私の2番目の子が生まれる前に再婚した。あの継母は借金を作ったことで私が21歳の時に父とは別れた。継母は私にも借金をさせていて、それも父が清算した。
今いる新しい母は本当に神のように良い人で、私たちが行っても嫌な顔一つせず美味しい料理を出してくれる。血は繋がらないけど子供たちも本当のおばあちゃんだと思うくらい大好きで、どうしてもっと早くこの人と出会ってくれなかったのかと同時にこんな父の面倒を見てくれるなんてと申し訳ない気持ちになる。
父はガンを患い透析が必要な体になった。
今はまだ元気だけど数年後はわからない。
遠くにいるからやっぱり会える時に会っておこう。そう思った。

父に実の母に会いに行くことを告げるとちょっと機嫌が悪くなった。「お前に面倒見てもらおうと思ってるんだな」「育てられないってこっちによこしたくせに」などと言い出すので私も子供の頃のことで文句を言った。もうこの歳になって父に実の母に会うことをとやかく言われる筋合いはない。
これ以上言うと父がキレそうだったのでグッとこらえてそれ以上は何も言わなかった。
やっぱりこの人に自分の思いを受け止めてもらうのは無理だ。私の中の幼い子供はずっと我慢したまま。今も出口を求めて彷徨っている。
アダルトチルドレンという言葉はまさに私にピッタリの言葉で、鬱屈した思いをずっと抱えながら歳をとっていくのだろうと思っている。

実の母とはショッピングセンターで待ち合わせをして会った。
久しぶりに見た母は以前よりも一回り小さくなっていた。その日はちょうど私の誕生日だったのでケーキを買ってくれた。父に引き取られてあの家にいた時は自分の誕生日など一度も祝ってもらったことがなかったから嬉しかった。
子供の頃に母と暮らしていたら私はどんな大人になっていただろう?少なくとも自己肯定感は今より高くなっていたと思う。
母の家は古いがきれいに整理整頓されていた。
絵が何枚か飾られていてそのことを聞くとなんとAmazonで買ったとのこと。床のフローリングも自分でAmazonで買って張り替えたそうだ。なんて行動力!
お昼に母は混ぜご飯と煮物を出してくれたが食べてみてびっくり!私が作った味とそっくりなのだ。
実の母の料理を食べるなんて多分40年以上振りだ。幼かったので母の味は覚えていないのだがきっと遺伝子に刻まれているのであろう。子供たちも「ママの料理かと思った」と言うほど似ていた。
母は料理もYouTubeを見ながら作るそうでそれも私と一緒。ホントに親子なんだなと心底思った。

母は亡くなった再婚相手が私と出身高校が一緒らしく、記念誌を大事に持っていた。卒業生の名前の中から私の名前を探して付箋を付けていた。これを見て父が言っていた「お前たちに愛情がないから育てなかった」は違うのではないかと思った。
そもそもの離婚の原因は多分父の浮気で母には何の落ち度もないはず。
今さら母に聞く気も起きないけど、本当は会いたかっただろうな。

母も70を過ぎて1人だから何かあった時は駆けつけてあげたいし、その後のことも考えなくてはならないと思っている。

母の家を後にし、父の家へ戻る。
父が犬の散歩へ行っている間、今の母と父の話になった。
そこでショッキングな話を聞く。
いつの話かはわからないが父がまたよその女の人と仲良くしてたとのこと。そのことを今の母が問い詰めると父が怒り出し「出ていけ!」と言われ殴られたそうだ。
ホントに許せなくて情けなくなった。
こんなに良い人にまでそんなことをするなんて!
昔からそういうクセは直らない。
継母と別れてしばらく1人でいる間も何人か彼女はいた。父はどうやら1人では生きていけない人間らしく、世間の常識も意外と知らない。自分の身の回りのことは女の人がやって当たり前という考え方だ。
見た目も良い方なので女の人が寄って来やすいのもあるが、いい加減にしろとこっちが殴りたい気分だ。
話を聞きながらみんなで泣いた。
そのうちに父が帰ってきたので、みんなでそそくさと夕飯の準備をして何もなかったかのように過ごし、夕食後に駅まで父に送ってもらい帰路に着いた。

今回実の母に会ってやっぱり良かったと思う。
今まで母のことがよくわからなかったけど親子だと再認識できた。
幼い頃の傷が少し癒えたような気がする。
祖父の遺影にも手を合わせることができたし、実の祖母の記憶が全くない1番下の子も「おかあとそっくり」「結構良い人」と言っていた。
会えなかった時間を埋めるにはまだ当分かかりそうだけどこれから楽しんでいきたい。

実の母さん、ありがとう!
今度会った時はあの祖父母が住んでいた家のカフェに一緒に行こうね!
そして今の母さん、父のせいで嫌なことがたくさんあると思うけどこれからもよろしくお願いします!
いつもありがとう!


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