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【弔辞】生と死のエネルギーにあてられて

生まれる命

10月のある日、その日私は婚約者の義姉夫婦へ、初めてご挨拶に行った。出迎えてくれた、8ヶ月の義甥の話。義姉に抱いてみなよと促されるまま、ぎこちなくうけ取る。

温かい、柔らかい肌、小さいと思っていた自分の手の4分の1もない、ふくふくと丸い手、あー、うーと意味の無い言葉を発しながら、

抱き上げた私の腕の中で、ジタバタと手を動かす。時折私の髪の毛をこの小さい体のどこにそんな力があるのかという勢いで引っ張る。あれは普通に痛かったので今後は抜け毛対策のために、髪を結ってから会いにいきたい。

「もうすぐはいはいができるようになるよ」と義姉がいう。

約70㌢ほどの小さな命が、起こすであろう数々の奇跡に思わず息を飲む。
彼はもう早くてあと半年やそこいらで自分で立ち上がり、言葉を話し、大切な人を見つけ、自分の人生を歩んでいくのだろう。

姉夫婦と話をしているさなか、彼を見るとコロコロと転がって、懸命にお気に入りの母の抱っこひもを必死にしゃぶっていた。なぜか心の奥を刺激される感覚があった。

何気ないことに泣き、笑い、一生懸命生きる彼は非常に魅力的だったし、
エネルギーを分け与えられたような気持ちになる。


去りゆく命

 同日、挨拶からの帰宅途中私は、ある人が亡くなったことを知る。闘病の末だ。

8月の末のこと。私はシンガーソングライターとして、自分の曲で構成したオンラインのワンマンライブを披露した。彼は聴きに来てくれた。思えば私がライブをするとき、何の連絡もなく、さりげなく聞きに来てくれてお疲れ、とっても良かったと、メッセージを残して去っていくのだ。

その時も、もしかしたらもう、入院をされていたのかもしれない。病室から聞いてくれていたのだろうか。

 日本の若者の未来のためにと、命を削って事業に尽くしたあの人は、たくさんの人に愛されていた。死ぬ直前まで、家族を思い、同士を思い、若者、日本を思い眠りについたという。彼らしいと思った。涙は出なかった。

関わった人がその人を「恩師」として、慕い、過ごした日々を思い思いに投稿し、自分はそれをただただ眺めるしかなかった。

自分の涙をせき止めたのは、自分自身の都合の良さへのいら立ちかもしれない。彼のために、自分は生前十分な心配りができたのか、そうでも無いのに今になって、残念だと思うのは虫が良すぎるのではないか。あるいは、「死」を心の中で無意識に美化して、一種の非日常として消費してしまうのではないかと。

意志を引き継ぐとか、故人のためにとかそんな表面的なことでなく、一番底にある自分の感情は何だろうと自分に問う。

「自分はこのまま死ぬのは嫌だ」

というただ一言だった。

自分には、何が正解かわからない。けれど、自分の中で確からしい主張がある。

人々の死というのは、

【「命の有限さ」を認識して、それぞれがそれぞれ悔いなく進め】

と、日ごろ、私たちの中に薄れている「命の期限」を再認識させ、奮い立たせることにある。それが「今を全力で生きる」エネルギーとなるのではないだろうか。

生きる、死ぬ

今この世にいる私たちにしか知覚できない「生きる」と「死ぬ」は、
それぞれ異なる印象のエネルギーを与えてくれる。

しかし、その本質は一緒であって、どれも今ある自分たちに「今を全力でいきろ」と訴えかけているように思う。

私は、彼の意志は継がない。
私は、彼ではないから。安易に継ぐといえない。彼の真似事はできない。でも、きっと私が全力で動いた何かは彼の願う世界の何かにかすりはするのではないか。

いつか、自分が死んだとき、会えたとしたら「頑張りましたよ」って言えるように自分に恥じずに生きていたい。

2020年10月20日
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結城アンナ(Anna Yuki)

リブセンスで働く傍ら
シンガーソングライターとして
2019年~活動開始
「ちょっと言いにくい心」の代弁者として
イベントスペースやレストラン、
ライブ配信などで活動中。

facebook(近況報告系)
YouTube(オリジナルソング置いてます。)
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