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ベルリン(言語)の壁

タスマニアを出てからちょうど6週間が経ち、私は今、ドイツの首都、ベルリンにいる。

日本に一時帰国していた1ヶ月は、とにかく家族や友達と遊んで、遊んで、たまに実家に置いていた荷物を片付けて、そして遊びまくっていたため、本当に一瞬にして過ぎ去っていった。

一時帰国中、大変ありがたいことに「note読んでるよ、ドイツ編楽しみにしてるね」と友達から声をかけてもらうことが多く、自分の近況報告という名目で始めたくせに、更新したらインスタのストーリーで告知はするくせに、でもやっぱり少し恥ずかしいような、照れくさいような、不思議な感覚であった。

ちなみに、日記を読まれること自体には、周りからちょっと引かれるぐらい全く抵抗がない。
あわせて更新している手元のフィジカル5年日記も定期的に夫や家族に読まれているし、むしろ私が楽しんでいるのと同じように一種の読み物として楽しんで欲しいとすら思っている。

ついては、これからも「もちもち『日記』」の名に恥じないよう、常人ではギリ耐えられないラインのおもしろ恥ずかしエピソードや赤裸々な内省を更新していく所存である。引き続きあたたかく見守ってもらえたら嬉しい。

さて、本題に戻るが、ベルリンでの生活の滑り出しは、比較的好調と言えるような気がしている。

まず前提として、私たち夫婦はまだ、タスマニアに到着した途端、馬房ホステルに放り込まれたり、チェリーピッキングの仕事が一生始まらなかったりした時の心の傷が全く癒えていない。

海外での新生活に大きめのトラウマを抱えているということもあり、今回も「着いたら家がないのでは…」「そもそも大学すら実在しないのでは…」と戦々恐々としてベルリンに降り立ったわけだが、結論から言うと、家はちゃんとあった。大学も実在した。

しかも家に関しては、事前に見ていた写真に全く偽りはなく、期待していた通りの状態で、立地も良く、大家さんもアパートのシェアメイトもとても良い人そうときており、これはかなり当たりを引けたのではないかと思っている。

緑が豊かで、ヨーロッパらしい建物が並ぶ街並みも、散歩するだけで楽しい。心なしか犬連れの人が多いのもなんだか嬉しい。さすがにドイツの首都というだけあって、ショッピングモールなどの商業施設も公共交通機関も充実している。

アパート近くの街並み

そんなハネムーンモードの我々がここベルリンで初めて直面した試練、それは住民登録であった。

ドイツで暮らす人は、原則引っ越してから2週間以内に役所で住所の登録をする必要がある。
そもそもこの登録のためのアポイントメントを取得するのもなかなか難しいのだが、タスマニアにいる間から何度も予約サイトを確認していた甲斐あって、我々は到着日の2日後のアポを取得していた。

そして迎えた住民登録当日、遅れてはなるまいと早めに起床し、必要書類を再確認し、満を持して登録に挑んだのだが、ここからが挫折の連続であった。

まず、建物に入ったところでドイツ語で何かを問われるが全く分からない。
「Nicht hier(ここじゃない)」をかろうじて聞き取ることができて別の入り口に向かうも、そこで受けた説明がさらに全く分からない。上を指差すジェスチャーをしていたので2階に上がるのかと思ったがそもそも階段がない。しばらくして、登録された番号がモニターに表示されるのを待て、という意味であったことに気がついた。

呼び出しを受けて担当者のもとへ行くと、そこでも当然ながら全編ドイツ語による手続きが始まった。

「Mein Deutsch ist nicht gut(ドイツ語が得意ではありません)」と冒頭で説明した上で、なんとか身振り手振りで話を進めるが、結婚証明書の日付について質問を受けたあたりで、ボディランゲージで乗り切れる範囲の限界を迎えた。

仕方なくゆっくり英語で説明しようとするも、「Nein Englisch(英語はだめ)」と突き返されてしまう。最終的には、『Google翻訳で表示されたドイツ語を、内容は全く理解できていないがとりあえずそのまま読み上げる』という手段でなんとか乗り切ることに成功した。

客観的に見ればかなりボロボロの会話だったに違いないが、全ての手続きが終わってから「Vielen Dank(ありがとうございました)」と声を掛けると、ずっとムッスリしていたおばさんが最後にニコリとしてくれたのがとても嬉しかった。

生活の中で全く言葉が通じないというのは、オーストラリアでの生活ではあまり経験してこなかった試練である。

私自身にとってノルウェーでの留学経験はそれに近いものがあったのだが、その時はノルウェー語が通じていないと分かるや否や流暢な英語に切り替えてもらって乗り切っていたので(それも今思い返せば甘えだが)、特に生活に不自由は感じていなかった。
ドイツでも若い人は同じように流暢な英語で対応してくれることが多いが、中高年が多い役所手続きでは当然そうはいかないようである。実際、渡航までに続けていたDuolingoのドイツ語履修範囲がここまで活用されるとは思ってもみなかった。

同時に、これは自分の努力次第ではかなり伸びしろのある部分だ、と思えて、なんだか無性にワクワクしたのも事実である。

「海外で生活を立てる」という点においては、現時点でもオーストラリアでの経験がだいぶ活きているような気がする。
次なるステップは、壁で有名なここベルリンで、自分たちの言語の壁を取り壊すことなのかもしれない。

と、なんだか最終的には意識高めな方向に持っていってしまったが、我々の珍道中が終わったわけでは決してないのでそこは安心して欲しい。

フリマアプリでゲットしたバカでかいソファを2人で担いで地下鉄に乗った話については、また次回の記事で触れたいと思う。

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