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私はとびきり不安になりたい

「エドワード・ゴーリーを巡る旅」に行ってきました。
限定品ということで買ってきたタロットカードが「不安の箱」という名称と知りどうしたものかと唸っています。

朝一番に引いて『こんなことは起きないだろう』と強い気持ちでカードを眺めたい。逆にね!



きっかけ



私がエドワード・ゴーリーを知ったのはたまたま流れてきたこちらの動画で宇垣美里さんが紹介していたから。

宇垣さんが手に取ってテンション上がっていた本のひとつにヒグチユウコさんの画集もあって、元々大好きな作家さんなので『共通点があるのかな、どんな本なのかな』と気になり頭の中のリストに書いた。

その後すぐ、とある本屋で米津玄師フェアが開催され、その中の書籍リストにエドワード・ゴーリーもあった。
調べてみたところ、『めっっちゃ(初期の)米津玄師だ……!(絵の雰囲気から影響を受けていることがはっきりわかったという意味)』と衝撃を受けた。

そうして調べているうちに、奈良県立美術館で「エドワード・ゴーリーを巡る旅」が開催されていることを知り、何かの縁を感じてほぼ前情報なしで足を運んだ。


単に不幸なこどもたち

かつての私なら『何の罪もない子供が不幸に見舞われるなんて許せない』と思ったかもしれない。

だが、ゴーリーの絵は不思議な生命力を感じさせ悲壮感漂う悪趣味な世界観とは少し違うように見えた。

「ギャシュリークラムのちびっ子たち」なんて悪趣味で仕方ないのだけれど。

緻密な筆圧が紙を波打たせ、色がないのに表情豊かな作品たちを目の前にして責めたり貶したりする気分にはなれなかったのだ。

「ここから逃げれば未来が良くなる」なんてことはなく
「悪魔の力を得れば無敵になる」なんてこともなく
「うさんくさい客」はいなくならない。

それでも不思議と、読後感が鬱々しくないのだ。
むしろ「うろんな客」はとても好きだった。
居座った客が何者なのかは分からないけれど、なんだかクスッと笑える。


芸術は継承

最後の展示室にゴーリーの愛した日本文化があった。浮世絵などにも影響を受けたが中でも狂うほどに愛したのが「源氏物語」。

「存在についての感情」を描くのは日本文学ならではなんだそう。このあたりについては西洋文学を読まなければ分からないような気がするので自分の未熟さに気を引き締めたりもした。

今はオリジナリティが重視される時代のように感じるが、ゴーリーはもちろんゴッホも歌川広重からインスピレーションを受けていたのだから、「完璧なオリジナル」なんてものは存在しないと思う方が妥当だろう。

むしろ美しい文化や芸術は受け継がれていくべきで
かつて見向きもされなかった絵でも後世に残り
新しい芸術が生まれる。

大事なのは芸術への敬愛の気持ちなのだと思う。



ゴーリーが愛したのは日本文化だけではない。
ニューヨーク・シティ・バレエの全公演を観るためにニューヨークに住んでいたが、敬愛するジョージの死がきっかけでニューヨークを離れたという徹底ぶりだった。

新聞の見開きで訃報を知ったとき「ジョージの手がけるバレエが観られなくなる」と悲しんだそうだ。

何より今展覧会を観て勇気をもらった。
何かに熱狂することは素晴らしいことなのだと。

これを機にハッピーエンド以外も愛せる気さえした。


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