疲れたら、立ち止まってもいいよね。
これまで、ずっと悩んできたことがある。
それは、頑張りすぎてしまうこと。
この“頑張りすぎる”というのは、努力ができるという意味ではない。
自分の求める理想が高すぎて、それに追いつけなくて、自分で自分を押し潰してしまうのだ。
昨日、あることがきっかけで、押し潰した自分が爆発してしまった。
「ダラダラばっかりしないで、もっと頑張らないといけないのに」
「家事だって、もっとちゃんとしないといけないのに」
「もっといい人間にならないといけないのに」
そんな「しないといけない」を沢山抱えて、どうにもできなくなった。
そのくせ、一緒に住んでる彼にも“理想”を押し付けてしまう。
そんな自分が憎くて悔しくて。
自己嫌悪のループに入ってしまって、「もうダメだ…」と全てを投げ出したくなってしまった。
そんな、真っ暗闇に落ちてしまったわたしを引き上げてくれたのは、彼の言葉だった。
そのときの言葉を、また自分が見返せるように、文字として残したい。
なので、このnoteに書いておきたいと思う。
理想のために動きすぎや。
もっと自由に生きていいんやで。
新卒で就職するまでの休みの期間、ムダなことをしたくないって言うけど…
ムダじゃないことってなに?
俺にとってムダかどうか基準は、「後世に名を残すようなことであるか」だけ。
その基準で言ったら、意味のあることをしてる人は今生きてる中でほんのわずかやで。
99.9%の人はなにも残さずに死んでいく。
何百年後に名前が残ってそうな人なんて、今の時代に70億人生きてる中で、きっと1人か2人や。
人間死んだらそれで終わりやねん。
やったら、ムダでいいやん。ムダなことしていいやん。
好きに生きたらいい。
今やりたいことをやったらいい。
俺は今やりたいことができてるから幸せや。
もっとシンプルでいいねん。
あとに何か残そうと思わず、今を幸せに生きたらいい。
理想が高すぎるっていうのは、未来ばかりを見すぎているということだと思う。
将来のことを考えるのはいいことだ。
でも、“今のわたし”に目を向けずに、将来ばかりを見据えるから、苦しんでしまうのだ。
今、わたしがするべきことは、未来を思い描くことじゃなくて、“今のわたし”に向き合うことなのだと思う。
生き急いで、見えなくなってしまったけど、大事なのは“今”なのだ。
気づけてよかった。立ち止まれてよかった。
言葉をくれた彼には、たくさん「ありがとう」と言いたい。
ちゃんと自分のことを理解するにはまだまだ時間がかかると思うけど、ゆっくり、1歩ずつ、“今のわたし”に向き合っていきたい。