つぶやくことは、自分と世界を認知すること。
考えることや、話すことが苦手な人生でした。
内向的で奥手な私は、何か言いたいことがあっても口をつぐんだり、
心の中に抱えたりしていました。
多分、嫌われたくないという思いが発言を阻んでいたからです。
友達はいましたが、本音は言えずにいました。
それでいて、家族にはハッキリと怒りの感情を出す、典型的な内弁慶。
もちこちゃんは優しいね。真面目だね。怒らないね。
そう誰かに言われる度に、違和感を覚えていました。
はっきりとモノを言わない、
その場しのぎの表面的な会話に慣れていた私は、
社会人になったとき、挫折を味わいました。
ロジカルな発言を求められることが当たり前の世界で
頭の中で整理できずにまとめられず、
婉曲で分かりにくい発言をしてばかり。
誤解を生み、頭が良くないと言われることもあり、
ああ、私は仕事ができない人間なのだと責める日々。
それでも私は乗り越えたかった。
今の自分にできることをしたかった。
だから、Xやnoteでつぶやくことを始めました。
私の今の志向や思いを整理して、綴ること。
振り返ると私は今までの人生で
アウトプットをしてこなかったことに気づいたからです。
本や映画の感想、友人との食事…何かをしたら、簡単につぶやく。
なぜその感想を持つに至ったかを、しっかり書き留める。
短い文章だからか、かれこれ3年位継続しています。
文章を振り返ると、私の感情の起伏も分かり、
どんな時に怒りが湧き、どんな時に喜ぶか、
自分という人間を理解するための良いデータベースになっています。
苦手だった志向の整理も、少しづつ出来てきている感覚があります。
職場での会話は未だに苦労するシーンもありますが、
文章で分かりやすく伝えるスキルは大分身についたと実感しています。
情報化社会に警鐘を鳴らされることも多いけれど、
身近で簡単に書き留められたり、
誰かの意見を聞けたりできる現代は、やっぱり便利で有難い。
つぶやいて、「私」を知ると同時に、私と違う、という多様な考えを知ることもできる。
つぶやくことは私にとって、価値観の海原の中に溶け込んでゆくような世界でした。
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