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元ストリッパーが事実を基に踊り子デビューまでの道を小説化!!【ストリップの神様】

割引あり



西野未来のデビュー


 澄香は緊張で震える足を銀のダンスヒールに入れた。ヒールの中は冷たく、履き慣れない感覚に不安が募ってくる。

 後五分後に自分が『未来』という芸名のストリッパーとして舞台に出ることが澄香には現実ではないように感じていた。

 袖のドアと暗幕の間に立っていると、お客との写真撮影タイムであるポラロイドショーのやり取りをしている踊り子の黄色い声が聞こえてくる。

 澄香は自ら臨んでこの世界に入ったというのに今更になって怖気付いていた。自分は映画監督になりたくて東京に来たのに、何故これからストリッパーになろうとしているのか、この道が本当に正しいのかも遠回りしているのかも分からなくなっていた。

 突然、携帯電話の着信音が澄香の化粧前からけたたましく鳴った。きっと、母親だ。そう直感的に思った。急いでヒールを脱ぎ、楽屋の端っこの化粧前まで行き着信を切った。数日前の電話で母親と喧嘩をしていた。当然、母親はこれから澄香が踊り子デビューをするなんて事は知らない。

「未来ちゃん。携帯電話はマナーモードにして鞄の中か毛布の上とか、振動が楽屋に響かない所に置くのよ。初日は皆んな地方からの連投で寝不足だから。」

 隣の化粧前でメイクをしている踊り子五年目の菜奈江が優しくこっそりと注意する。

「すみません。」

 鏡越しに数人の先輩踊り子がこちらを睨んだ。心臓がドキドキしていた。移動の疲労と緊張感に包まれている大部屋の楽屋も母親の事も全てが気が気でならない。

 ステージの方から拍手が起こった。袖のドアが開き、半裸状態の踊り子がお客からの差し入れや花束などの大荷物を持って袖に戻った。大音量でノリノリの音楽が掛かる。踊り子は自分の名前が刺繍された桜模様の法被をさっと羽織り、颯爽とステージに再び入った。大サービスのオープンショーである。場内は大盛り上がりで指笛や手拍子が元気よく響いている。

 菜奈江は床に置かれた大量の荷物を踊り子の化粧前まで急いで運んでいた。澄香は一番下っ端である自分がやらなくてはいけないであろう事を菜奈江にやらせてしまいオロオロしている。

「未来ちゃん。ヒール、履いて。」

 菜奈江に言われハッと我にかえり急いでヒールを履く。突然、楽屋のドアが開き澄香に今回踊りを教えた吾妻が言った。

「未来。ここにいるから何かあったら言いなさい。」

 そしてドアはすぐに閉まった。

 あっという間にオープンショーは終わり、そしてついに澄香の出番が回ってきた。

「マリお姐さんお疲れ様です。」

「お疲れ様あ。お客さん、すっごい多いよお。頑張ってねえ。」

 澄香は袖のドアを開ける前に深呼吸を一回した。もう、後戻りはできない。澄香は覚悟を決めた。

 心を落ち着けてドアを開けた。場内は真っ暗闇だった。さっきまで賑やかだった場内とは違い、しんと静まり返っている。

 一段上のステージの床に足を踏み出す。何となく昨日ステージで練習した時より床が滑るような気がした。暗闇の中、ステージ中央辺りだと思われる場所で板付きになる。暗がりの中でも大勢の人の気配と熱気を感じる。

 転ばないだろうか、振り付けが飛ばないだろうか、笑顔ができるだろうかー。不安な思いが次々と出てくる。

「えー。本日デビュー致します西野未来さんです。皆さん、あたたかい拍手でお迎えください。」

 アナウンスが終わると未来の演目の曲が大音量で流れ、ピンスポットに包まれた。同時に、頭が真っ白になった。

 母親のことも、映画のことも、今まで悔しかったことも全て一瞬で消え去った。銀のヒールがステップを踏み始めていた。



夢のチャンス


二〇〇九年六月下旬、澄香は世田谷の住宅街を駅に向かって歩いていた。

 登校中の中高生が爽やかに会話をしているのとすれ違う。カフェには優雅に朝食を楽しんでいる初老女性達や新聞を読んでいるスーツ姿の若者の姿がある。

 澄香はCM撮影のスタジオアルバイトで食べ残しのロケ弁が入ったビニール袋をチラッと見た。弁当を今日は奇跡的に余分に一つ貰えたのはラッキーだったと思うが、世田谷のカフェで余裕のある人々との差を比べられずにはいられなかった。

 澄香は仕事や学校に向かう人々とは逆方向の駅に再び歩き始めた。

 小田急線の電車に乗り、数駅先の自宅のある登戸駅で降りる。駅から一本道の自宅まで十五分。さして何もない異様に長く感じる道が今日は更に長い道のりに感じる。朝の日差しが暴力的に眩しかった。

 自宅に着きビニール袋を小さなテーブルの上に置く。汗や油やらで湿ったTシャツとジーパンを脱ぎ洗濯機の中に放り込んで速攻でシャワーを浴びた。三日振りの入浴だった。

 入浴後、気づくと髪の毛も乾かさずソファで寝ていた。リュックの中の携帯電話の着信音が鳴り目覚めた。気だるい中電話に出る。

「はいよ、どうした?」

「どうしたじゃないよ、あんたしっかりやってんのかい?電話くらい折り返しなさい。」

 田舎で離れて暮らしている母だった。

「ああ、撮影現場三日入ってたから出れなかったんだよ。ごめん。」

「三日現場入ってたからって電話くらいできるでしょうが。」

「お母さんが想像するよりかなり忙しいってことはいい加減分かってよ。三日振りにさっき家に帰ってきたんだよ。全然寝てないし勘弁して。で、なに?」

「野菜送るかいってメールでも聞いただろ?読んでないのかい?」

「・・・ごめん、気づいてないわ。」

 母のため息が聞こえた。

「お金は大丈夫かい?」

「全然大丈夫だよ。ずっと働いてるから使う暇なんてないよ。」

「無理はするんじゃないよ。こっちに帰ってきたっていいんだから。」

「心配しないで。」

「じゃ、荷物は明日送るからね。」

 母との電話を切り、髪をドライヤーで乾かした。食べかけの弁当と余ったもう一つの弁当を一気に体の中に入れる。空になったプラスチックの弁当容器を見ながら母との会話を思い出す。

 本当はお金なんてなかった。狭いくせにオートロックのせいで異常に高い家賃と毎月の公共料金や国保の支払いに追われていた。その中で一番追われていたのは週に一度行っている社会人映画学校の支払いだった。

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