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世界の仕組みに抗うことが感情移入のきっかけになる

この記事は前回のこの文章の続きのような物です。

「ゲーム発展国++」で夢女になった話

この記事でまさかの「ゲーム発展国++」でキャラに夢を見ることになった話をしました。
しかし、これがきっかけで私がキャラに強い愛着を持つポイントについて考えることになりました。今回はその話です。

私が同ゲームに対して抱いた感情について流れを改めて整理する。

・社員をより初期能力の高いキャラに入れ替えてプレイすることが最適解であることに不満を持つ(二周目でモチベを失ってプレイしなくなる)
・再度プレイするきっかけを得るが、今度は気に入ったキャラは解雇しない方向でプレイをすることに
・しかし育成に不慣れ故に中途半端な能力のまま一周目が終わる。
 キャラの視点に立って考えると、なんとなく後味が悪い結果に…。
・二周目では別の目標に向けて社員全体を育てていくことになる。
 ひとつ大きな仕事を片付けたことで彼の人生は一周目よりも満足の行く結果になったのではないかと考えた。

「ゲーム発展国++」は主に「ジャンルと内容を組み合わせて、ゲームを作ることを楽しむ」ことがメインのゲームという理解が正解と思います。
また大きな目標として「作ったゲームでグランプリを取る」「グランプリを五回獲得するとカイロくんを雇用できる」「ある条件を満たすとカイロくん型ハード(ゲーム機)を作れる」「単純にハイスコアを目指す」などが存在しています。

性質上「キャラ(社員)を大切にすることを目的としてはいない」ため、そのように考えることは目標を達成する上で不利に働きます。
フレーバーテキストこそあれ、台詞は全員共通ですし。

同じくカイロソフト製でプレイしたゲームを引き合いに出してしまいますが「冒険ダンジョン村2」は解雇を必要とするゲーム性ではないので安心してプレイできましたし、とても楽しかったです。
しかし、動員できるキャラの数も多く(本当に多い)正直な所ひとりひとりに思い入れが生まれるかというと疑問はあります。

だからこそ逆らうことに意味が生まれて、宮沢はやとに愛着が生まれた
「そういう前提ではない作品」で世界のシステムに逆らってみた方が「そういう前提で作られた作品」より思い入れが生まれるものなのかもしれないな…そう思うと興味深いなと思ったのです。

なお、便宜上作品としての前提条件と違うプレイをすることを『逆らう』と表現しましたが、本当の意味では逆らってはいません。
なぜなら記事内でも取り上げた「上限を超えた育成法」は、公式が用意した抜け道のようなものだからです。
初期社員ひとりくらいなら体力の低さはどうしようもないものの、際限なく能力値をあげること自体は可能ということですね。

ゲームとしての目標とは別に楽しめる自由度の高さもちゃんと残されている。
「ゲーム発展国++」がなぜ今でも評価の高い作品なのか少しわかった気がしました。
こういう理由はもしかしたら少数派なのかもしれませんが。

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