有言実行のすすめ
若かりし頃の夢は「歌手」になること。
音楽で生計を立てることだった。
ギターは小学4年の時から。
親戚の兄ちゃんから譲り受けたフォークギターを改造して、自作のエレキでロックを弾くマセた子供だった。その趣味は50を超えた今でも続けているので、結構本気で好きなのだ。
歌手を目指したと言っても、バンドのボーカルという位置づけ。
ジャンルは、ポップ〜ロックの間。
当時好きだったAOR(adult oriented rock) のテイストで米国西海岸系の爽やかなロックを演奏していた。
その頃、歌で世の中に貢献したいという気持ちが強かったので、誰かがうまいこと発掘してくれて「良いレコード会社と契約」「良いプロデューサーとディレクターが担当してくれて」「ブレイクしないかな〜」
などと漠然と思っていたのだ。
実はワーナー・ミュージックのレーベルのひとつ「wea」からデビューする話があった。当時、槇原敬之さんの担当ディレクターが、我々の担当にもなってくれたのだ。
しかし、バブル崩壊と共に話が立ち消え立ちになってしまい、デビューの夢は「藻屑」と消えた。その後も30まではデビューのための活動を頑張った続けたが、今は友達として音楽と付き合っている。
では、なぜ私はデビューに至らなかったのか?
今でも真剣にその時の事を考えることがあるのだ。
・こうしたいという気持ちを声に出して何度も発信しなかった
・失敗しても何度も立ち向かわなかった(継続しなかった)
・売り込みが他人任せだった もしくは 運任せだった
・マーケティングが不足していた (どんな曲が世の中で必要かなど)
この中で最も重要なのは、「こうしたいという気持ちを声に出して発信しなかった」ことだと思う。これに対しては、今でも強く「後悔」している。
何であの時、死にものぐるいでやらなかったんだろう・・・。
話は変わるが、人は意外に「他人」の事に関しては無頓着だ。
家族が一昨日、いや昨日でもいい。「どんな服を着ていたか」なんて、ほとんどの人は覚えてはいないだろう。ましてや友達や同僚なら、覚えていなければならない理由がない。
では「夢や希望」ならどうだろう?
他人のことであれ「夢や希望」は不思議と脳裏に焼き付いている。
幼馴染や昔の同僚の「こうなりたい」は意外と「記憶」しているものだ。
ただし、それを伝えられた場合に限ってのことだ。
なので「良き友人」に自分の夢や希望を伝え続けることは、決して無駄なことではないと思う。
夢や希望を叶えるためには、「質の良い情報」が必要不可欠だ。そして、それを得るのは「質の良い人」からでなければならない。
考えてみればあたり前のことだが、上記の条件を首尾よく揃えるには、「有言実行」が効率が良い。
だからあの「デビューし損ねた日」から、常々そうしてきた。
「発言」なくして「成就なし」ということを信じているからです。
それじゃあ、また。