私が私でいられますように。
ダイニングテーブルに置かれた夕飯を温めなおして空っぽの胃に入れると、温かさが身体に染み渡り生きている感覚がした。
随分なにも口にしていなかったみたいに美味しい。
家族がみんな眠ってから食べる夕飯に幸せをかみしめながら、やっぱり集団生活は向いていないんだなと改めて思い知る。
ここでは一人きり。 誰に何も言われることはない。
自分の脳内をゆったりと自分の時間に浸せる唯一の時間。
反対に、誰かに見られているという感覚は膜を覆うようにして、いつだって日常にべったりと張り付いている。
ご飯を食べている時、見慣れた道を歩いている時、勉強机に向かっている時、友達と会話をしている時。
見られているというのは監視やストーカーのような背後からじっと見られているような直接的な視線ではない。
見えない圧力とでもいうのだろうか、自分がいつでも赤の他人から行動や言動を隈なく見られていて、そこに評価が加わるという意味での視線。
他愛のない話をしていても、その相手の瞳の色や表情に一瞬の陰りを見たときはもう、発狂しそうなくらい頭がぐらぐらとしてしまう。
そのたびに反省や後悔の念に駆られ、気になりだすと一日中何も手につかなくなったりする。
「もっとこうした方が良い」「そうするべきだ」
そういう評価が見えない空気の中に力をもって身体に入り込み、息が苦しくなる。
その時はいつだって一人で、他人の評価でしか私は私の形を保てなくなる。
哀しいことは分かっているけれど、どうすればいいかの手立てもない。
そこにあるのは、確かな孤独と色の無い世界だけだった。
***
窓の外を見ると、真っ黒な空に点々と輝く星がいくつも見えた。
夜になったらみんなに見える様にそこに姿を現す光の粒。
暗くならなくても、空に目を凝らせばいつだってそこに居るのに、誰もかれもその存在を意識しない。
いくら視線を投げかけても、人々が足を止めてその存在にうっとりと瞳を揺らすことも、指を指して楽しそうに笑うことも、忙しい世界の意識化に置くことすらもできない。
「見て」と訴えている夜のその姿は昼間の鬱憤を晴らすためでもあるのだろうか。
だから、星はこんなに綺麗な光を纏って姿を現すのだろうか。
辺りが暗くなり始めた頃、自分を魅せる絶好のチャンスとばかりにその時期を見計らって準備を整える。
星だって良く似ている。
誰かに見てもらうために、意識してもらうために日々を努力する私となんら変わりはない。
誰にも見られることはなくとも星はそこに居続けるし輝き続けるという事実はもちろん頭では分かっていたけれど、そう考えると気が楽になった。
無数に輝くことを止めない星々を眺めていたら、生きる希望が持ててくる。
私は今のままで間違っていないのだと、教えてくれる存在がこんなにたくさん私を包んでくれている。
闇に散りばめられた粒は「大丈夫だよ」と、光の強さで私に言葉を投げかけてくれているような気がした。
夜だけが、私のことを分かってくれた。
自分よりも強い光を持つものが主役になる世界。
太陽が眠りについてからその存在を知らしめる日々が、存在を隠してしまう太陽が、憎らしいと思ったことはないのだろうか。
強い朝陽が顔を表すと同時に、光に消え入る星たち。
あの眩い光の中で、一体いくつの星がなくなっていったのだろう。
たとえ自分より満ちた光の中に居ても、世界が動きだすタイミングに合わないとしても、誰も見ていない空でいのちの限り星は瞬く。その存在を知らしめるために。
星たちの努力が好き。なんて、そんなありもしないことを考える。
この世界に夜が来るたびに、私は生きてても良いと思える。
この世界に夜が来なくなるまで、私は息をし続ける。
だからきっと、この世界には、私には、夜が必要だった。