いまの私をつくる過去の経験 「人たらしだよね」 いつだったか、初対面の人に言われた言葉に深く傷ついたことがある。 傷ついたということは、自分に何らかの自覚があってそこを見つけられた時にはっとしたからでもある。全く自覚していないことに対してなにか言われたら、その人からはそう見られているんだで、終わる話である。 ”人たらし”とは簡単に言うと、いつも笑顔でポジティブで他人のために労力を惜しまない、フットワークが軽く甘え上手など。ということは本来であれば良いことのはずだった。
暑いのか寒いのか、よくわからないような季節。じっとりと額に汗が滲むかと思えば、肌に触れる風がひんやりと冷たかったり。ころころと表情を変える気温に翻弄される日々。花の匂いが強くなって、目に映る風景も一層濃くなるこの季節。 思い出すのは、のどかな田圃に囲まれた祖母の家。雲ひとつ無いまっさらな空の下、祖母が愛でていた花々や草木に水色の長いホースで冷たい水をかけた。生温い風が緑の香りを運んできて、頬がむず痒かった。 学校帰り、やわらかな土を集めて泥団子をつくったこと。 兄と二人、
覚えているかと問われると、正直あまりよく覚えていない。 ただ、ぼんやりと熱を帯びたような瞼の重たさと、午後の淡い光が揺れるバスの風景は、なぜか今でも鮮明に覚えている。 2年前、私ははじめて心から好きになった人と離れた。 正確に言うと、離れなければいけなかった。私の意思とは関係なしに、土砂降りの初夏の夜、彼は私に別れを告げた。 その日から、あまりにも一方的な恋だった。 まっさらな光が降り注ぐ使い慣れた小さな駅で、いつも隣を歩いていたはずの彼の背中を探した。 何処に行
きれいな空白の中に、ひとつ呼吸を置いてみる。 「好き」の感情が溢れたとき。心が動いた瞬間にシャッターを切る。 その場の空気感と被写体だけに意識を傾ける。通り抜ける風の音に時折、耳を澄ませて。 心地よいと好きの重なった瞬間、私の見たどこまでも現実的な頭の世界が描ける。 のこしたいもの。 これからも、大切にしたいな。
なんとなく眠れない夜に昼間の微睡む光のなか。 なんにも考えたくないとき。 頭が熱を帯びたように重たくなって、ふとした時に思い出す光景がある。 * 「前にまいちゃんのおじいちゃんの家があるところらへんで、男の人に話しかけられたんだ。孫が毎日頑張ってるって言ってて、表札もまいちゃんの苗字だったから、きっとおじいちゃんだね。まいちゃんの話をして嬉しそうににこにこしてたよ」 スイミングスクールで友人に言われた言葉が今も忘れられない。 当時小学校低学年だった私は、おじいちゃ
なんでもないように過ぎていく日々が 実はいちばん自分らしく輝いた日々で。 ふとした仕草がやけに頭に残ったり。 忘れたかったはずのことが いつのまにか忘れたくないことに変わってて。 忘れたいと願っていることほど鮮明に覚えていたりする。 思い通りにならないこの世界が、とてもすき。
-いつからだろう、人に囲まれ過ぎていく日常に孤独を覚えるようになったのは。 傾いた陽がオレンジ色に街を染め上げ、建物全体が淡い熱を帯びたように濃淡な影を描く。生命のない”ただそこにあるだけ”の無機質なビル群は均一的なリズムを持って一日の終りの光を反射する。その無機質で均一的な光景のもとで、人々が足早に家路へと帰っていく。 過ぎ去っていく不規則な人の足踏みと、真上から静観する巨大な建物。 人々の生活と巨大な装置が共存するようなその異質な光景も今では見慣れ、人々の群れに混じ
ちっこくて愛くるしくてほっぺと爪だけは一丁前のオカメインコ、『まるちゃん』。 もこもこでふわふわであったかくて小さくてトコトコ付いてくるまるちゃん。通称、「もちふわ」。 この「もちふわ」、眠たいときの顔が可愛すぎる(笑) まるちゃんをお迎えした時のことをふと思い出したので、ここに書き留めようと思う。 新型コロナウイルスが流行した2020年春。都内の大学から田舎の実家へUターンし、時間を持て余していたこともあり、(動物が苦手の)両親に内緒でこっそりオカメインコを飼うこと
最近よく思うこと。 私は物事をひとつひとつ理由づけて説明することが苦手。 もっと言えば、他人にいま感じている自分の想いを分かりやすい言葉で伝えるために頭で整理することがとても苦手。 思ったことを素直に言うだけじゃ相手に正確には伝わらないし、言葉が一人歩きだってする。 それは「個性」だと誰かは言い、それは「直すべき良くないこと」だと誰かは言う。 私はそのどちらともとれず、いつもすごく悩んでしまう。 だってそれは紛れもなく、私自身だから。 他の人とは異なった個人に特
春が嫌いな理由。 芽を出した植物と柔らかくて温かな土の匂いに 風に舞う桜の花びらとほんのりした陽ざし。 ちょっとした日常のなかでふと春を感じたとき、瞼の裏が懐かしさでくすぐったくて、泣きたいような気持ちになる。 また、春が来てしまった。 正直、私にとって春は切なくてとてつもなく懐かしくて悲しい哀しい、季節。 柔らかな陽ざしに包まれて、大切な人はみんなみんな私の側からいなくなってしまうから。 あちこちでつぼみが膨らんで、優しい光に満ちた春
あえて言わない想いがある。 言葉に出しちゃえば簡単だけど、 心に留めておけば、そこでずっと大きく膨らむ。 言葉にした瞬間、誰にも伝わる想いに変わる。 それが良いことなのかはよく分からない。 でも、間違いなくその言葉は明確な輪郭を帯びて、そこから変化することはない。 受け取る人に委ねること。 それは、その言葉がどんな形にも変わりうるという可能性に満ちている。 けれど、大体の言葉はそのままの意味で伝わる。 自分の思惑とは離れたところで一人歩きだってする。
ダイニングテーブルに置かれた夕飯を温めなおして空っぽの胃に入れると、温かさが身体に染み渡り生きている感覚がした。 随分なにも口にしていなかったみたいに美味しい。 家族がみんな眠ってから食べる夕飯に幸せをかみしめながら、やっぱり集団生活は向いていないんだなと改めて思い知る。 ここでは一人きり。 誰に何も言われることはない。 自分の脳内をゆったりと自分の時間に浸せる唯一の時間。 反対に、誰かに見られているという感覚は膜を覆うようにして、いつだって日常にべ
永すぎる眠りのなかにいるみたい。4月ですね。 どうか、日々が元通りになりますように。
優しい風と共に開いたノートにペンを走らせ想いを綴る。 雑踏の中でひとりの声だけを探す。 その声に耳を傾け、遠くの誰かに思いを馳せる。 * 書き連ねたことばのはじっこ。 そこで眠るから、あなたにはその真ん中で眠ってほしい。 ことばの中心は少し淡くて脆いけど、とても広くて優しいから。 零れ落ちた想い出はひとつひとつ拾ってきてあげる。 伝えられなかった想いはいまも心のなかで息をする。 そうして一緒に生きていく。 だから、安
初めて会った時のことを、いまでも鮮明に覚えているよ。 全体的にふっくらとした体格のその子は、柔らかな瞳の奥でまっすぐに僕を見つめていた。 日焼けのしたことのない様な真っ白な肌が白い砂浜によく似合っていた。 いや、似合っていたという表現が適切なのかもわからない。 こんなことを彼女が聞いたら、砂浜に似合っているなんてと嬉しくないと不貞腐れてしまうかもしれない。 とにかく、彼女は靄のように包まれた白い砂浜の空間に溶け込むようにして、いつ