「やることがない」絶望をかかえる、彼
この10日間は、人生で一番「暇」という単語を恐れた日々だった。
恋人の口から、「やることない」という言葉が発せられることを、ひたすら恐れていた。
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10日前。恋人が燃え尽き症候群のような、精神的落ち込みを見せた。
博士論文という、大学院生活の集大成の一区切りがついた彼。(まだ提出していないので、実際のところはまだまだ続くのだけれどね)
ただいま、先生方からのチェック待ち。「待ち」ということで、多忙な日々に、ぽんっと時間があいた。
これまで熱中していた研究から、束の間でも解放され。
結果、彼は「何をしていいのかわからなくなった」。そうして、「やることがない」状態に陥り、ありあまる時間を前に、苦痛を覚えている。
「やることないよう、暇だよう」そんなテンションだったら、あまり心配しない。彼は好奇心旺盛で、興味の対象も広い。博士論文以外の研究も、いろいろある。だから、「暇だよう」なテンションだったら、そのうち勝手に興味のあることをはじめるので、ほっといてもいい。
でも、今回は違った。
「やることがない」そう気づくと、どんどん、どんどん、顔が死んでいく。しまいには、こちらの問いかけに、虚な目でぽつぽつ答えるだけになる。完全なうつ状態に、陥ってしまう。
さらには、これまで興味があったことの大半に、関心を持てなくなったという。
「学問をやっているときは確かに楽しい。だけど、やっぱり『これやって何になるんだ』って、引いて考えてしまう。確かに意味はあることだと思っているけれど、俺にはその意味を感じられない」
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幸い、「楽しい」「面白い」という感性が完全に無くなったわけじゃない。
遊園地に行ったらすごく楽しそうにしていたし、隣町の駅ビルでは熱心にノートを選び、「これにする!」と笑顔を見せた(彼はノートと鉛筆コレクターだ)。
「やることがない」という状態に至るまでは、いたって普段通りの彼だ。
しかし、「やることがない」と彼が気付いてなお、放っておくと、どんどん死んだ顔になっていく。早めに楽しいことや興味をそそるものを提示しなければならぬ。完全に目がうつろになってしまうと、もう無気力に支配されて、脱してもとの精神状態にもどるまでに時間がかかるし、あぶない。
10日、彼の「やること」を私もずっと探していた。なかなか見つからないことが大半で、彼の早すぎる「飽き」に、行き場のない悲しみも覚えたりする。
けれど、少しずつ「やることがない」の絶望度合いは、落ち着いてきている。
ほんの2、3日前までは、猛スピードで死んだ顔になっていき、自分で「やること」を見つけられなかったが、今日はちょっとだけ、違った。
「やることがない」と気付いてうつろな表情をしたけれど、それでも”マシ”な顔だった。そうして、自分で、「やること」を見つけて、やっている。
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数ヶ月前は、私の方が、2週間うつ状態で死んでいた。
あのとき、彼は私を自分の家に置き、つきっきりで支えてくれた。おいしい食事を作ってくれ、散歩に連れていき日光をあびさせ、一緒に眠ってくれ、おふとんの悪い魔力からひきはがし、たくさん話を聞いてくれた。2週間で普通の精神状態に戻ってこれたのは、彼のおかげだと思っている。
あのときの彼のように、適切な対処ができているのか、わからない。
自分のいたらなさに、申し訳なくなるときもある。
でも、まだまだ本調子じゃないとはいえ、彼も少しずつよくなっている。
適切な対応をできているかはわからないけれど、きっと、あたたかい愛情だけは、伝えられている。
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いま、彼は自前のLinux PCを夢中でいじっている。
久しぶりに熱中している彼を見て、ほんの少しだけ、涙がでそうになる。
よほど楽しいのか、こちらが話しかけても、つれない。
もう、あんだけ、私にべったりだったというのに。
ふふ。ちょっとの寂しさも、嬉しいね。
【おまけのおはなし】
掲載許可をもとめて、彼に記事を見せたら、「Linuxじゃない!Arch Linuxだ!」と怒られてしまった。(そこかい!)
Windows、MacにならぶOS・Linuxにもいろいろな種類があるらしい。どうしても”Arch”の文字が大事だと言うので、こちらに記しておきます。(彼の信者っぷりに、引いている。なんでもいいじゃんか、というとまた怒られるので、だまっておく)