私の職歴書 vol.3_入社1年目の若造が手にした小さな成功と大きな失敗
はじめに
こんにちは。
株式会社エイチームコマーステックの望月と申します。
株式会社エイチームコマーステックは、名古屋に本社がある株式会社エイチームのグループ会社で、私は代表を務めています。
私は社会人経験20年以上となかなかのベテランになってきましたが、3年前に設立されたばかりの若い会社で経営デビューし、日々奮闘中です。
そんな経営者として未熟な私が、成長するために様々なインプットや思考を繰り返す中で、気づいたことや分かったことなどを発信するnoteを毎月書いています。
何を伝える記事か
前回の記事では、学生から社会人へと、わずか5日間でスイッチした新卒研修について書きました。
山口本社での研修で、すっかり社会人のマインドにスイッチした私は、働く目的がシンプルだったことも相まって、猪突猛進で働き仕事を覚えていきます。
今回の記事では、研修から帰ってきた私がその後10ヶ月の間に経験した大成功と大失敗について書こうと思います。
「店長じゃなければ人間じゃない」
今の制度がどうなっているかは知りませんが、私が在籍していた当時のユニクロでは、入社した全員がまず店長になることを求められ、店長に昇格するには社内試験を通る必要がありました。
試験は半年に一回行われ、半年間の業務評価と店舗業務に関する筆記試験をクリアしたら、本社に呼ばれて面接を受け、それを通れば店長代理(いつでも店長の代わりができる人)という社内資格を得ることができます。
そして、その試験は入社半年目のルーキーも、3年目や5年目のベテランも等しく扱われており、会社説明会で聞いた「完全実力主義」が嘘なく徹底されていました。
一般社員と店長代理とでは、月のお給料はわずか数万円の違いでしたが、持たされる権限と責任、上司や本社から受ける扱いが大きく異なり、先輩社員が口にした「この会社では店長じゃなければ人間じゃないよ」という冗談話にも頷けるところがありました。
そんな店長代理試験が、私が入社前から目的としていた「金銭面と精神面での自立」を達成するために真っ先に乗り越えるべき壁でした。
わずか3%のチャンス
結果からいうと、私はこの試験を半年でクリアすることができました。
上司が言うには、その時の受験者のうち私と同じく入社半年で合格を勝ち取ったのは10名程度とのことでした。
その3%のチャンスを掴むために私がやったのは、「全ての時間を仕事とお店に使う」ことでした。
まず、業務評価については店舗にある全ての作業と、店長から教わる店舗マネジメントの習得と実践を評価されるため、いかに教わったことが早く実践レベルになっているかが大切です。
また、筆記試験は共に持ち出し禁止となっている店舗運営のマニュアルやマネジメントに関するマニュアルから出題されるので、知識として頭に入れる必要があります。
この2つをクリアするのに、最も有効な行動は常に店舗の仕事とマニュアルに触れ続けることと判断した私は、出勤前や退勤後、休みの日までお店に通い続けました。
当時は働き方について、会社も世間も今ほど厳しくなかったのでやれたことですが、これから社会人になる人たちには参考にならないかもしれません。
ただ、ここでも私の頭の中はシンプルなゴール思考で、目的達成のために必要なことだけを考え、好き嫌いのスイッチを切って黙々とやり続けたことが結果に貢献したのではないかと思います。
大きな環境の変化
私が新卒で配属されたのは、浜松駅からすぐ近くの大型商業ビルに入っている、平面フロアの3区画を借りた特殊な形態の店舗でした。
標準化や効率化によって成長してきたユニクロでは、ロードサイド店舗は大きさや店舗内のレイアウトがフォーマット化されていますが、ビルイン店舗はそれが当てはまらないため、難易度が高いとされていました。
店長代理資格を得た私は、「何も知らない新入社員」から「特殊なビルイン店舗のNo.2」という立場になり、店長の補佐や店長不在時の責任者として店舗運営の中枢に関わるようになっていきました。
一般社員のころはベテランの店舗スタッフや先輩社員から指導を受ける機会が多かったのに対し、店長代理になると、直属の上司である店長や複数店舗をまとめたエリアをマネジメントするSV(スーパーバイザー)で、求められることも実務の内容ではなく、店舗の業績やそれに関わる問題の改善などに変化していきました。
だんだんと環境の変化や仕事にも慣れ始めたころ、その事件は起こりました。
シンプル思考の大失敗
その日は店長が休暇を取得中で、SVが店舗巡回でお店にきていました。
売上や費用の進捗、売り場やスタッフの状況などをひととおり把握したSVに呼ばれた私は、「店頭の欠品がひどいね。代行者の望月くんがこれじゃ店長は安心して休めないよ。」とフィードバックを受けました。
店長が休みに入ってわずか数日なので、欠品があるのは事実としても、店舗の状態が急に悪くなりはしません。
SVとしては、いい機会だから私に辛口なフィードバックをして、発破をかけたつもりだったかもしれませんが、私はそう受け止めませんでした。
「そこまで言われたら徹底的に欠品をなくしてやろう」と火がついた私は、各スタッフにお願いして全ての店頭在庫を確認してもらい、欠品している色やサイズを集計しました。
当時は商品の追加発注がシステム化されておらず、週の前半までに必要な商品を色やサイズといった単位でExcelに入力し、必要な数量を発注依頼として本社にメールを送る仕組みでした。
数時間かけて全ての欠品をExcelに手入力し、本社に発注メールの送信を完了した私は、やりきった達成感に気分が高揚しました。
ところが、数日後にこの発注が大きな問題になります。
当時の私は、目の前の問題(欠品している)に対する解決方法に集中してしまい、連鎖的に起こる次の問題を気にしたり手を打つ余裕がありませんでした。
私が大量に発注した商品は、数百ケースという大量の入荷に姿を変え、数日後に容赦なく店舗に届くよう手配されてしまいました。
そんな数の入荷は通常の店舗運営ではまず発生しないため、敷地内にある倉庫にはどれだけ頑張っても入りそうにありません。
また、大量の荷受け作業も、店頭への陳列も全てスタッフが行うので、通常の体制では人手が圧倒的に足りません。
自分の仕事によって起こった大問題に、解決策が全く思いつなかった私は、翌日の朝一で休暇明けの店長に、半泣きになりながら状況を報告し、指示をお願いするので精一杯でした。
店は店長次第。自分の店は自分で守れ
柳井社長が店長に求める行動規範の一つで、当時は店長室に掲示されていました。
私の報告を聞いた店長は、怒るでも慌てるでもなく、「そうか」と一言つぶやくとすぐに動き出しました。
まず、スタッフのシフトを担当する社員に今日と明日に可能な限り出勤の要請をかけるよう指示すると、今度はビルの管理事務所に向かい、ビル内の空いているスペースに一時的に商品を保管させてもらうよう交渉をまとめました。
ビルイン店舗は売上の一部をテナントビルに支払っているケースが多く、浜松の店はテナントの中でも稼ぎ頭であったため、ビル側もなんとか了承してくれたようでした。
自分の不始末で起こった問題の解決に全く関われず、ただ無力感で泣きそうになっている私のもとに戻ってきた店長は、在庫の発注をすることの先に何が必要なのか考えてやるよう私に注意を伝えた後、「イレギュラーではあったけど、必要な商品は揃ったから週末はたくさん売るぞ。」と私の背中を叩いて励ましたくれました。
もともと何事にも動じないタイプの人ではありましたが、店で起こったことを全て自分の責任としてとらえる姿勢や、ピンチに冷静で的確な判断をする思考など、私もいつかそうなりたいと強く憧れ、今でも強く持ち続けている心構えになっています。
最後に
今振り返れば、あの失敗はその後の自身の仕事のスタンスに影響を与えた、とても良い経験だったと思います。
ただ、当時の私は口では「自分のせい」「申し訳ございません」と周囲に伝えていたものの、それらは店長の代理という立場としての建前であって、心から反省してはいませんでした。
頭のどこかで、欠品を指摘したSVや、その時に休暇をとっていた店長に対して不納得に感じるところがあり、ただただ幼かった自分に恥ずかしさを感じます。
失敗を他責として消化してしまったことで、私は情けないことにその後も同じような失敗を複数の店舗で繰り返してしまうことになります。
失敗経験は闇雲に積み上げてもなんの成長にもなりません。
自責で受け止めて事象の発生原因をとことん考え抜き、二度と同じ失敗をしないための行動改革に結びつけて初めて意味があるものなのだと、数年後にようやく気づくことになります。
今回の記事はこのあたりで終わりたいと思いますが、私のキャリアは一年目ですでに波乱万丈で、格好悪い失敗ばかりしてきました。
二年目はこれまで以上の突き抜けた経験をしますが、それはまた次回のnoteで書きたいと思います。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。