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『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』 を読んで

大学の図書館で新聞を見ていて、たまたまこの本が最近話題だという話を見かけた。読書論として気になったので、その場で図書館に入荷のリクエストを出してこの本を入れてもらい読み始めた。

私自身も社会人として働き出すまであと3ヶ月と少し、これから飛び込む「労働」という世界にも少し興味があったのだと思う。

全体の感想

この項では、書籍の内容のネタバレは極力含まないようにしています。

書籍の題名から「読書は良いよ」と持ち上げる読書崇拝の本かと思っていたが、そうではなく良い意味で裏切られた。どちらかというと、「労働」というテーマがメインにあり、それと「社会の人々」との関わりが「読書」という視点を絡めて論じられているようなものだった。

日本の社会における「労働」はどのような変遷を辿ってきたのか、そして現代の労働にはどのような社会や人々の動きがあるのか、そういったことが非常に分かりやすくまとまっていた。

特に現代における労働の形が非常に良く分析されていると感じた。まだ働き出してはいない私だが、それでも私自身の、それから周りの人々の行動とその意味が、この本の説明でとても納得できた。

おそらく「労働」はほとんど全ての人の人生に関わってくるものだから、社会の人々全員に読んでもらいたいそんなくらいの書籍だった。特段難しい文章でもなく、「読書」という習慣を持っていない人でも、まだ働いていない人でも、読む価値の大いにある本だと思う。特に普段、全身全霊で頑張っている人にこそ読んでもらいたい。この本を引用して頑張りすぎないでも良いよねと伝えたい。

細かな部分の感想

⚠️この項はネタバレを多量に含みます。
純粋な書籍を気持ちで読みたい方はお気をつけください。



現代における労働

明治から戦後にかけて労働の目的は「立身出世」することであった。地方から東京に出て故郷に錦を飾りたい。ジャパン アズ ナンバーワンの時代に、同期との出世競争の中で勝ち上がりたい。そんな時に必要な「知識」や「教養」というものを与えてくれるのが「読書」だったと書かれていた。

私はもちろんその時代は知らないが、昔のテレビとかを見てそんな雰囲気はそこはかとなく感じていた。本書の前半ではそんな時代の潮流が非常にわかりやすく説明されていた。

それが現代は「自己実現」が労働の目的になった。「好きなことで生きていく」そんなYouTubeの広告、「好きを仕事に」そんな社会の潮流、それが現代でありそうした自己実現の手段が労働であるとそう書かれていた。

こう説明されると本当にそうだなと感じた。自分自身も好きなものを仕事にしてこれから社会に出る。何も疑いはなく、自らの意思でそういうふうに歩んできたつもりだったが、それが社会の全体の流れでもあったんだなと改めて気付かされた。出世は別に気にしないから、自分の好きなことで仕事ができたら良いなんて、自分はそんなふうに思っている。

そうして自己実現のために仕事に全身全霊を賭すのが良いのか悪いのか。それが本書の後半には書かれていく。

「知識」と「情報」

本書におけるこの2つの違いの説明が非常に納得のいくものだった。

 つまり読書して得る知識にはノイズーー偶然性が含まれる。教養と呼ばれる古典的な知識や、小説のようなフィクションには、読者が予想していなかった展開や知識が登場する。文脈や説明の中で、読者が偶然出会う情報を、私たちは知識と呼ぶ。
 しかし情報にはノイズがない。なぜなら情報とは、読者が知りたかったことそのものを指す。(中略)
 情報とはノイズの除去された知識のことを指す。

205ページ

この上で、現代のインターネットで得られるものが「情報」であり、読書で得られるものが「知識」であるとしていた。

言われてみれば私は「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いかけの答えを知りたいと思い本書を読んだ。とすれば「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の応答は情報である。けれどもその過程で、日本における労働の変遷を知ったし、『坂の上の雲』や「円本」が登場した頃の社会的背景を知ることができた。こうしたものこそノイズであり、それらを含んだ知識が得られた。

小学生だったかの頃に、辞書を使った調べ物はインターネットと比べて、周辺の見出し語に出会えるメリットがあると教わった記憶がある。これもまさに読書なのだろう。

私は大学で「情報工学」を学んできた。そうした身としてこの「情報」というものの意味、そして「知識」との違いはもっと早めに意識するべきだったなと感じた。

私が今まで作ってきたWebサイトが、アプリが、伝えていたものはノイズのない「情報」だったのだろうか。それとも「知識」だったのだろうか。私は知識を得るのが好きだし、知識が満たす豊かさのようなものがあると信じている。とすれば「知識」を伝えるモノづくりを意識してみるのもありなのかもしれない。

現代における読書とはなんなのか

 逆に言えば、1990年代以前の<政治の時代>あるいは<内面の時代>においては、読書はむしろ「知らなかったことを知ることができる」ツールであった。そこにあるのは、コントロールの欲望ではなく、社会参加あるいは自己探索の欲望であった。社会のことを知ることで、社会を変えることができる。自分のことを知ることで、自分を変えることができる。
 しかし90年以降の<経済の時代>あるいは<行動の時代>においては、社会のことを知っても、自分には関係がない。それよりも自分自身でコントロールできるものに注力した方がいい。そこにあるのは、市場適合あるいは自己管理の欲望なのだ。

183ページ

この特に現代の説明が、今の自分にも社会にもひどく納得のいくものだった。

読書の良さは特に小説であれば「他の人の人生を追体験できること」だという話を時々目にする。これこそ1990年代以前の人たちの求めていたことなのだろう。田舎の出身でもサラリーマン小説が読める。高度経済成長の時代でも、日露戦争以前の富国強兵に沸く社会の物語が読める。そうした知識が1990年代の人々の求めていたものであったのだろう。

それが現代、不安定な経済状況の中で生きること、変化の激しい時代でいきること、その時に必要なのはそうした波に乗り上手く適合することである。その適合に必要な情報以外は「ノイズ」とみなされてしまう。「今」の社会に適合するのに歴史の知識はすぐには必要がない。よりコントロール可能な自己に関する話に興味が持たれ、だから「自己啓発書」が売れるのだと。

 つまり過去や歴史とはノイズである。文脈や歴史や社会の状況を共有しているという前提が、そもそも貧困に「今」苦しんでいる人にとっては重い。

204ページ

こうした考えは今まで持ったこともなくとても衝撃的だった。確かにこの本で得た知識では今の生活は変えられない。今、卒論の締切が近いにも関わらずこのnoteを書いている自分には何の効能もない。それでも私は人生は豊かになると思うから本を読みたくなる。それは、私の「今」にまだ余裕がある表れだったのかもしれない。

 自分から遠く離れた文脈に触れることーーそれが読書なのである。
 
そして、本が読めない状況とは、新しい文脈を作る余裕がない、ということだ。

234ページ, 太字は原文ママ

私たちは全身全霊で働いている。なぜならばその労働が自己実現の手段だからだ。だからこそ、その労働に不要な知識はノイズである。それが故に人々は本を読まなくなるのだということだった。

働いていても本が読める社会に

働いていても、働く以外の文脈というノイズが、聴こえる社会。
それこそが、「働いていても本が読める」社会なのである。

237ページ

そうした余裕がある社会、そうした社会の方が良くないだろうかと最終章で筆者はまとめていた。今の全身全霊で働く社会を変えて、半身で働ける世の中が良いじゃないか、と。半身のコミットメントで「「にわか」で何が悪いんだ」と作中で筆者は言っていた。

また、最終章では現代の全力でコミットしている人が迎える「燃え尽き症候群」、そしてその先に待ち受ける「うつ病」という面も指摘していた。

頑張りすぎると、人は壊れるからだ。

251ページ

今の私にも非常に響く言葉だった。本書ではうつ病が「一生付き合っていかなければならない心の病を抱えることになってしまうことも少なくない」と言っている。精神病の類は軒並みそうだろう。

私も夏にずっと1人で篭り、研究や開発をしていたら、ついに心が限界になってしまった。今までの当たり前のことが、当たり前にはできなくなってしまった。

私の話はまたどこかで書きたいが、私自身もこうなってしまったからこそ、私も声を大にして「全力にはならなくても良いよ」と言いたい。私のようになる前に、今は大丈夫と思って全身全霊で動いている人には、本書の言うような半身の過ごし方をしてほしい。どうか、一生を犠牲にするその前に。

(脱線)動機づけの格差

勉強本を買うほどに、学ぶことに関心を持つことができた者は、それだけで恵まれているということだ。現代では、格差はまず動機付けの段階で現れる。

『独学大全』

本書の序章では『独学大全』のこのような文章が引用されていた。『独学大全』は読んだことが無かったので、こうした見解に初めて出会ったが、これも非常に共感できる考え方だった。本書では映画『花束みたいな恋をした』のキャラクターも引用してその差も言及している。

この感想を投稿する前日に、ちょうどテレビで『花束みたいな恋をした』が放送されていたらしい。筆者のSNSを見たら、この映画の批評として本書が書かれたとも言っていた。このお話もちょっと気になるかも。


最後に、本書に登場したお気に入りのフレーズをもう一つ。

懐かしさだけが救える感覚がある

良いなぁ

おわりに

初めてこういった書評のようなものを書いた。書くにあたって、他の人の感想を読んでみたりもした。こういうのも面白いね。あまり中身のある感想は書けないが、こうしてアウトプットしてみて、数年後に自分で読み返してみるというのもまた面白いのかもしれない。

総じて本書を振り返れば、私自身、3ヶ月後に働き出しても、今のように本が読める余裕を持って過ごせるように意識したい。全力で走り続けるのではなく、仕事に対して完璧を求めすぎるのでもなく、半身でさまざまな文脈に関わりながら過ごしていきたい。

本書の中に「他者の文脈」という話があった。この社会、1人では生きていけない。他者の文脈を知り、それに関わって生きていかなくてはいけないと。

普段、1人で居ることばかりだし、このまま1人で居続けるのも楽なものかと思って過ごしている。ただ、時には読書を通して、また時には人と面と向かって関わって、その文脈と交わることも必要だよなぁ。


私の受け取り方でこの感想をまとめたが、もしかしたら筆者の意図していなかった意味もあるかもしれない。少なくとも、僕の説明よりもうんとわかりやすい説明が本の中には書かれているし、さまざまな「知識」も含まれている。ここまで読んでくれたあなたにも、ぜひ一度本書を自分自身でも読んでみてほしい。読んだら、あなたが受け取ったこの本の感想もよければ聞かせてほしい。


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