「足るを知る」―2025年のテーマ
昨年のとある交流会で、〝10年後の自分の理想の状態〟を書き出すワークをやった時、「多すぎるものを所持していない」ということを書き記した私。ほかのいくつかの項目に比べて、予想外というか、思考の外から出てきたようなことで我ながら驚きました。ゆえに新鮮ですごく心に残り、家に帰ってからも気になっていて思い浮かんだのが「足るを知る」でした。
2024年は終盤に人生で初めてのメンタル不調をきたしました。それが持ち直したと思ったら今度はこれまた人生初のインフルエンザにかかりました。これは何らかのメッセージかと思い向き合ってみてたどり着いたのが、再びこの「足るを知る」でした。
足るを知るって、これまでは物欲とか、肩書とか、〝何を持っているか〟といった外に向けて欲することを範疇にしていると思っていました。
でも、自分の能力とか性格とか感受性とかそこから生まれる感情とかモチベーションといった内的なことにも当てはまるのだと気づいてハッとし、
さらにハッとしたのは、〝人からの評価〟に対しても言えるのではなか、ということでした。
私は、関わる人が喜んだり楽しそうだったりしている様子を見ると嬉しくなってしまう質で、それが様々な行動のモチベーションになりやすいです。そのために頑張ります。
頑張ることは悪じゃないし、正直、〝頑張る自分〟も好きだったりします。だけど、自分が心地良くない、無理をした頑張りばかりを続けていたら支障をきたすのだと、この年末の心身両方の不調を経験して、痛感しました。
自分をないがしろにして人を優先できるほど、私はできた人間じゃない。
自分が素直に「したい」と思う頑張り、「ねばならない」の頑張りでなく、それで人のためになれる、人に喜んでもらえる、自分を大切にしながら周りの人を大切にできる、それが理想だなと。
人からの評価に対してもそう、これまで知らず知らず〝完璧〟を目指していたのかもしれないけれど、そこまで行き着くほどの能力もなければそのためだけに無理や我慢をし続けられるほどのタフさも持ち合わせてない。元来、めんどくさがりだし、気分屋だし、好奇心は旺盛だけど深くハマるものは実はそれほど多くないし・・・。これが私の「足る」です。
ある意味、今まで自分のことを【過大評価】していたのです。
もちろん社会の中で私の「足る」で足りない場合はあってその際には努力するのだけど、できなくてもダメじゃない。
努力しようって動けただけでも、自分にとっては及第点、「足る」なのかもしれません。
ずーっと欲してきた「等身大で生きたい」って願望も、これで叶うのかも?
2025年は40歳を迎える年。いわゆる節目。「四十にして惑わず」と言われますから、自分にとって十分、足るを知るということがぴったりではないですか。
というわけで、今年は「足るを知る」をテーマに、自分のちょうどよいサイズを掴む年にしていきたい。