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何かを手放すことは、〝失くすこと〟とは限らない。

一昨日書いた記事がジャスト200本だったそうで、noteからバッジをいただきました。
と言っても、非公開に変更したものもあるので、実際のところは230本程度あるみたいなのですが。

noteはじめて4年くらいだったかな?
毎日投稿している人は1年で365本書いているわけなので、いずれの数にしても〝カメの歩み〟。
それでも、自分なりに継続できているのが、素直に嬉しい。
それに、毎日投稿している人と自分を比較してやさぐれたり(笑)、
そういう人を意識しすぎたり、真似しようとして無理したりして苦しむ、継続できなくて落ち込む・・・というような他人軸による行動とその結果の暴走をしていないこといも、我ながら成長を感じる。

noteというプラットフォームの空気感がそうさせてくれている部分があるのかもな。

さて、こうやって私的にはかなりの本数の記事がたまってくると、記事そのものやカテゴライズを整理したいという気持ちが湧いてきた。
マガジンをすでに複数作って整理分類してはいるのだけれど、
今の自分の視点で見たら分類が変わるかもしれないし、
そもそも今の自分の感覚にそぐわない記事もあるかもしれない、
という気がしているのだ。
新しいマガジンも必要かもしれない。

コロナの影響かはわからないけれど、部屋の中や持ち物の整理片づけもゆるく続けていて、〝新陳代謝〟(断捨離よりもこの言葉が今の自分の気分)している感覚。
「noteの記事を改めて整理したい欲」もその一環かな。


そんなことを感じて(考えて?)いたら、昨日ふと、
スラムダンク24巻一式を手放そうかな、という気になった。

スラムダンクは、今までほかのマンガをどんどん手放してきた中、唯一まだ手元にあり、私にとって2つの意味で思い入れがある。
その思い入れとは、

①私の青春の象徴。
中学~大学までバスケ部。
バスケが大好きだったし、今なお続く大切な友人関係も育んでくれた。
スラムダンクにも、そういう中で必然的にのめりこんだ。

②新卒社会人時代の心の支え。
かなり苦しかったこの時代。
1週間頑張った〝ご褒美〟として、週末ごとに1冊ずつ購入。
当時は自分を奮い立たせる支えであり、
今の私にとっては、あの頃頑張った証として勲章のようなもの(ちょっと大げさかな笑)

にも関わらず手放す気になったのは、
これらの記憶や思い入れが自分の内側に深く根付いて、
〝物質として〟マンガを手元に置いておく必要になったから
なのだと思う。
スラムダンクを見て、
「あの頃の私は輝いていた(?)」とか「あの頃よく頑張った」とか確認しなくても良くなった。
確認せずとも、すがるものがなくとも、自然とそう思える自分がいるのだと思う。
これはつまり、以前よりも自己肯定感が上がったとも言えるだろう。

そうか、何かを手放すということは、〝失くすこと〟とは限らないのだな。


というわけで、手放す予定。
でもせっかくなので、1巻から読み返し中。
読み返して結果、やっぱり手元に置いておこうとなるかもしれないけれど、それもまた良し。
その時はきっと、今まで以上に純粋にマンガのおもしろさを享受するのだと思う。


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